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『風をつかまえた少年』

ホンとの本

『風をつかまえた少年』
ウィリアム・カムクワンバ/ブライアン・ミーラー
田口俊樹訳・池上彰解説
文春文庫
\950+
2014.12.

 教会関係のイベントで、この映画が上映されると聞いた。会場には行けないので、気になるお話の原作を読んでみたかった。こうしたことが私は多い。自分で選ぶだけでも読む本は多くなるが、こうして転がり込んでくる情報で、またも裾野が広くなる。
 サブタイトルとして、「14歳だったぼくはたったひとりで風力発電をつくった」と付けられており、表紙には、少年がつくった風車のイラストが載っている。この少年というのが、ウィリアム・カムクワンバ君である。
 場所は、アフリカ南東のマラウイの中部にあるカスング。マラウイは、マダガスカルに向き合うモザンビークと、ザンビアとの間に挟まれるように位置している細長い国で、世界で最も貧困な国のひとつとして紹介されることのある国である。国名は当地のチェワ語で「炎」を意味するという。1891年にイギリスの保護領となり、いろいろあった末1964年に英連邦王国として独立、初代大統領のバンダの名は本編にも随所に出てくる。
 農業国であり、タバコの産地でもあるが、世界的な禁煙への傾向で、他の商品作物への多角化も進められている。経済的な弱さとこの作物のことは、この物語でも大きな意味を以て描かれている。
 また、宣教師の宣教とイギリスの支配とにより、国民の大多数はキリスト教を信仰している。本書でも、神について、聖書について自然に触れる場面が多く、祈ることも度々あった。
 解説を池上彰氏が担っているが、そこで強調されているのは、「教育」である。本書を通じて、教育の大切さというものが伝えられることになることが強調されている。マラウイでは、男性の四分の一、女性の半分が、読み書きができないと考えられている。義務教育制度がなく、中学で学ぶには多額の学費が必要となる。また、HIVないしAIDSの感染者の率が高く、マラリアの罹患は日常茶飯事であるという。この問題は、物語の中でも大きな緊張を以て触れられる。
 電力不足は慢性的であり、停電は度々あるとのこと。このことが、ウィリアム少年の風力発電の動機となっている。
 そしてシマと呼ばれるトウモロコシの粉を湯で練ったものが主食であり、ウィリアムの家でもトウモロコシを作る場面が描かれている。が、この少年期、マラウイは飢饉に見舞われた。否、飢饉は慢性的にある、と言ってもよいくらいだ。この苦しい生活のシーンが長く続き、読む方はどうなることかとハラハラする。が、読み手を苦しませない方策がとられているので安心できる。それは、冒頭で、この発電のための風車が稼働する場面が短く載せられているからだ。この家族がどんなに苦難の中に置かれても、風力発電は成し遂げられることを読者は知っている。だから、希望を以て読み進めることができるのだ。
 ウィリアム少年は、勉強が好きだった。物事の仕組みをよく考えた。だから、日本でいう中学校にも行きたかった。しかし、お金がなかった。父親は少年の才能を知り、なんとか行かせたいと思った。あるいは、その才能のことは分からなかったが、息子の望みを叶えてやりたいという気持ちはあった。その貧困の中の生活は、読むだけでも辛いものがある。学費が払えず、中学を辞める様子が描かれている。なんとかまた、と中学に行っても、やはり続けられない事態。タバコが売れて金は入るから、と父親が学校に談判に行くシーンは切ない。学校側も、慈善団体ではないので結局は辞めねばならないことは避けられないのだが、それでも図書室を利用することには目を瞑っていた。そして、この図書室での学びが、ウィリアム少年を将来花咲かせることになる。
 まともに授業を受けていない。だから、独学に過ぎないが、物理の本、電気の本を、穴が開くほどに読み潰す。学校に行かずとも、好きなことにのめりこめば、これほどのことができる、という姿に、読者は震えるだろう。ゴミ捨て場をあさり、部品をそろえてくることも、一つひとつ考えながらのことである。協力してくれる友だちがいたことも、救いだった。だから、必ずしもすべてを一人でやったのではないが、発電ができたら貧困の生活が助かる、という思いに突き動かされて、少年は学び、資材を揃え、後半でついに動き出す。それは、自分の好奇心のなせる業ではあったが、自分の家族、そして村の人々の幸福のため、という動機によって動かされた力であった。
 頭のおかしな子だ、という村人たちのせせら笑いを背に、黙々と風車建設に勤しむウィリアムたち。大がかりな装置だが、少年の計算通り、電灯が灯り、ラジオが鳴る。人々の、彼を見る目も変わってゆく。学ぶということ、一途に取り組むということがもたらす成果があってこその注目ではあるのだが、物語は良い方向に流れてゆく。
 立場のある人に見出されて、数年間のブランクをもちながらも、受け容れてくれる学校を探してもらい、年上の生徒として謙虚に学び始めることができた。デイリー・タイムズなどの報道機関の力は、社会の注目を呼び、渡米してカリフォルニアの風車群を直に見ることもできたし、ケープタウンでの世界経済フォーラムに出席し、エネルギー問題に関して発言する機会も与えられた。ようやく習い始めた英語は覚束ないものだったが、満場の拍手を受ける。その数年後、米『タイム』誌の「世界を変える三十人」の一人に選ばれることとなる。
 教育はチャンスをつくる。そして、チャンスをもつべき才能をもった子どもが、経済的理由のために教育が与えられない、というもったいないことが、世界中でたくさん起こっている。この日本でもそうだ。
 マラウイでの、人々の理解は何であったか。本書には、恐ろしいまでの風習というか、実情も同時に描かれている。それは、「魔術」である。「魔術師」がどういうことを行っているか、が赤裸々に綴られている。それは科学からすれば、荒唐無稽であるが、社会常識なのである。日本はそれを嗤えるだろうか。先祖の祟りという脅しに全財産を注ぎ込ませる宗教めいた団体がまかり通っているのではないか。そのことを重大な背景として、元首相が殺されたのではなかったか。SNSを通じて怪しい情報が飛び交い、誹謗中傷で若い命を殺すようなことが、平気で行われているのではないか。金という餌で誘き寄せられた若者が、殺人すら犯さざるを得ないように支配されているのではないか。これらはどれも、科学とは関係がないし、教育によって防ぐことも可能なレベルの事柄ではないのか。即ち、「魔術」の範疇内での出来事だと言ってよいのではないだろうか。
 本書は、ウィリアム君の話を、最終的にはアメリカのジャーナリストがノンフィクションの記事にまとめている。文庫本でも460頁を超える内容で、たっぷりと読み応えがある。そして解説の池上彰氏が、教育の必要性を繰り返す。イギリスのブレア元首相の言葉も紹介されている。「重要政策は三つある。それは、教育、教育、教育だ」と言ったそうである。そして、「知識は力なり」というベーコンの言葉を踏まえて、その解説のタイトルに、「知識が力となるために」という名で掲げている。
 本書の物語は、一例に過ぎないかもしれない。だが、この少年のようになることができなかった、無数のウィリアム少年が、いまの世界各地にいることを想像できる私たちでありたいし、政治家がいてほしいと願う。




Takapan
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