『自伝的説教論』
加藤常昭
キリスト新聞社
\2000+
2003.12.
面白かった。面白くて仕方がなかった。これほどわくわくしながら読み進んだ本は、それほど多くない。
日本のプロテスタント教会で「説教」ということについて評判のよい人は多々いる。だが、「説教」を磨くためにどうすればよいのか、について多くの人に呼びかけ、教育を施した人となると、この著者のほかにはいまのところ思いつかない。
もちろんほかにも硬い「説教」についての著作や翻訳もいろいろある。ここで「説教論」と題したからには、いよいよ説教についての秘訣を論じたのか、という期待が走るかもしれない。そのとき「自伝的」という飾りはあまり大きな意味には見えていないのではないかと思われる。しかし、大きく捉えると、本書は「自伝」であると思う。著者が74歳のときに、38歳に至るまでの自身を振り返った叙述が、雑誌に連載されていたものをまとめ上げたものである。生い立ちを、特別な資料を調べ上げたというよりも、自分が思い出すままに綴ったというようなものだ、と言っている。
戦時中に受洗したというのは、どういうことだったのか。別の箇所でも、またラジオでのインタビューでも、幾度か聞いたことである。だが本書では、自分の半生を辿る中での位置づけのようなものも感じさせながら、たっぷりと語ってゆく。家族のことや戦争体験を背景に、小中学校生活も詳しく語られる。
結局、それらが「説教」を形作っていくものであることに、読者は気づいていくことになる。聖書を学んでいくこと、それから音楽あるいは演劇への関わりにも触れられる。また、教会の牧師の説教を聞くということについては熱く語られることになるが、そこへの容赦ない批判も載せられる。だからまた、これは説教論である。自分が説教というものについてどのように考えていたかという点が、確かに伝わってくるのである。
竹森満佐一牧師との出会いや、平賀徳造先生からの指導など、多くの人との出会いがあった。それは、後にドイツ留学をしてからも、そうである。それらの人々のことを、著者は思い出しながら、刻まれた記憶を一気に流し出しているようである。
哲学を学んだこと、それは私にとり親しめる経歴である。どういうものを学び、どういう思考や思索をしたか、それは私のような落第生には思い及ばぬものではあるにしても、やはり何か共鳴できるものがある。私の場合はその後にキリストに出会ったのだが、著者はその前からキリストに出会っている。それから、東京神学大学に入学して、牧師への道を歩み始めている。
最初の就任地は金沢であった。運良くというと失礼だろうから、神の導きで、という言い方にしたいが、新米牧師を受け容れた教会への感謝もあるにしても、やはり苦労もあった。当然である。若造に何が分かるか、そんな態度で臨まれても仕方がない。しかし、一つひとつの経験を真摯に受け止めていく。
とくに、寺院の僧侶との関わりというものを、敬意を持って記している点は、人柄を表していると思った。否、信仰に対する真心故にそうなのだ、と見たほうがよいだろう。幼稚園経営や、これまた多くの牧師との出会い、そして安保闘争の中での混乱から、最初の著作『聖書の読み方』のことなどが流れるように語られていく。
そこから東京の教会へと移ることから、「実践神学」という分野に打ち込んでいく様子など、相変わらず生い立ちを語るものではあるが、読者は覚らなければならない。これらが、「説教」とは何かということへの、間接的な答えになっていることを。後に「説教塾」として説教に命を吹きこもうとする営みを実践する、その重要な土台になっていることが、伏線のように鏤められていると思うのである。
著者が学んだ師、共に語った友、過ごした教会など、貴重な古い写真が時折掲載されている。これは読者としてもうれしい資料である。著者は自著も多いが、翻訳書も多く出している。ドイツの一流の牧師たちの神学書なども、私は多く読ませて戴いた。古書で探せば手元に届く、今はいい時代だ。ありがたい。その方々とのふれあいの細々としたことも、思い出されるままに綴られていて、かの神学書の背景が伝わってくる。
特に、東ドイツにおける留学などの活動については、事柄としては聞いていても、その内実についてはあまり知らなかったので、驚くことが多かった。当局にずいぶん目をつけられていたそうである。確かに言われてみればそうである。共産圏でのキリスト教会の姿を生々しく経験し、伝えてくれる人というのは稀有であろう。共産主義での圧迫と制限の中で、真摯な信仰を守る人々がどんなにいたか、またどのように苦難の中で信仰を強くしていったのか、そんなことが描かれている。ここは読むだけでも胸が痛いが、安穏としている中でぬるま湯にふやけているようないまの私たちの教会は、改めてここを読んで祈ってみてはどうだろうか。
最後に著者は、これはやはり「説教論」ではなかったかもしれないが、「説教者論」であったのだ、と宣べる。説教者は伝道者でもあるから、「自伝的伝道論」とならざるをえなかった、というふうにも書いている。そういう意味で、やはり題が「自伝的説教論」と一つに定められてしまわなければならないのはもったいないような気がするが、確かなことは、これは多くの人との出会いの生涯であったし、それらの出会いを生んだのは神であった、ということである。
奥様のことが、ここには薄い。残念と言えば、そこが残念である。さゆりさんも伝道者である。教団では「教師」というのだそうだが、牧師と呼んでも差し支えない立場にいたと思われる。本書でも全く触れないことはないのだが、それにしても殆ど奥様との交わりについては語られない。夫婦における信仰の支え合い、あるいはどういう信仰により結ばれたかなど、もしかするとそれだけでもっと厚みのある信仰生涯が語られてもよいのではないかと私は思うのだ。私のように、妻と共に闘ってきた者としては、加藤夫妻が共に何をしてきたのか、という点について、もっと知りたいと思った。夫婦でなければできない信仰の歩みというのが、きっとあるに違いない。常昭氏だけの信仰や個人的な出会いが語られるばかりの本も感謝ではあるが、ご夫妻での歩みは、語っては戴けないのだろうか。あるいは、どこかの本でそれがたっぷりと、もう語られていたのだろうか。そうであれば、どなたかお知らせ戴きたい。