本

『ふたりの読書会』

ホンとの本

『ふたりの読書会』
向井和美
岩波書店
\2200+
2026.4.

 読書会。楽しいだろうと思うが、大学を離れてからは縁がなかった。その代わり、対話のない、独り読書会をしているようなものだ。だか他人の視線と声がきたほうが、明らかに面白い。礼拝の後で、いまの礼拝説教についてわいわいと語り合うことは、あった。とても刺激的で、楽しかった。いわばそれの読書版だということだろうか。
 図書館司書の経験のある著者である。読書会は業務の一部のようなものだ。だが、それをどのような場に活かすか。著者は翻訳家でもある。『プリズン・ブック・クラブ』という本を訳したことがある。刑務所に於ける読書会の話である。その本を読んだ、大矢章市という男性すら、訳者である著者のところに、手紙が届く。それを契機に、手紙のやりとりが始まったのであった。
 本書は副題を「無期受刑者との本をめぐる往復書簡」としている。あまり目立たない文字でそう書いてあるのだが、ずしんと重く響いてくる。誤解のないように最初に申し上げておくが、本書を読んでいくと、この受刑者に読者は感情移入しそうになるのではないかと思う。だが、それにはブレーキをかけるべきである。人を殺めているということは、その当人の命を奪ったことは間違いないし、それに見合う刑を言い渡されていることになる。遺族の心情を少しでも考えると、本書そのものが刃のように突き刺さってくるかもしれない。そのことを忘れるような読者となってはならない。私はそう思う。
 往復書簡は、ここに四月から三月まで収められている。3か月ずつ、春夏秋冬に分けられてオシャレに編集してある。その季節の終わり毎に、コラムが掲げられ、刑務所の内実が説明されている。それは、書簡の中に書かれていることを理解させてもくれるし、私たちがそもそも刑務所について無知であるところから、救い出してもくれる。
 この大矢という人物、もちろん仮名である。どういう事情で刑務所にいるかということについては、具体的な犯罪そのものは明かさない。明かす必要もない。ただ、20年という長きにわたり刑務所に暮らし、出所の見通しもない状態であるらしい。そして、何よりも読書好きである。
 互いにどういう考えであるかを探るような書簡から始まるが、著者は五月にはもう、本を送り始めている。いろいろ気を使いながらも、これがいいか、あれがいいか、と本を選び、差し入れる。刑務所側のきまりもあるから、大矢に尋ねながら、また調べながら、本を選ぶ。その刑務所は、比較的厳しいルールがあるようで、その後、申し出ても許可されないことがあり、また極寒でもまともな暖房がないなど、次第に刑務所というところがどういうところであるかを知ってゆく。
 そう、1日はどのように過ごすのか。いつ、どのように本が読めるのか。手紙はどのくらい出すことが許されているのか。生活の規則はどのようなもので、それを破るとどういう罰が与えられるのか。その他、衣食住、私たちが当たり前だと思っているようなことが、どのような不自由さの中で賄われているのかなど、少しずつ知ってゆくのである。
 それと並行して、そもそも読書そのものへの切迫、そこが本書の本当の意味である。興味本位で刑務所について知りたいから本書に首を突っ込む、というのは間違っていると思う。偶々そういう環境で読書をする人の立場がそこにあるものの、思えば私たちもまた、必ずしも自由であるわけではない。自由と言えば自由だが、生きる上で制限を受けていることや、命に限りがあること、思えば人間としてこうして生きていることの点で、必ずしも刑務所にいることが特別本質的に違うとは思えなくなってくる。否、そう言うのは失礼であるかもしれない。分かったようなことを言うつもりはないが、人生を見つめることに於いては、同じ人間であることには違いない。
 むしろ、特別な経験をしてしまい、特別な立場にいる。償いきれないことを知りつつも、償いの必要性を覚えたり、自分のしてしまったことについて深く考えたりすることができる。否、そうしなければならない。「私こそが加害者なのだと気付くとき、この心がはりさけけんばかりに、自分の犯してしまったことに打ちのめされるのです」(p2)とか、「本を読むことで、道徳的なことや倫理観も含め、それまで私が意識もしていなかったこと、何より当たり前だと思っていたことが、実は違っていたことに気付きました」とかいうところから自己紹介を始めたところに、私は着目して読み始めたのだった。
 実は二人は、キリスト教や聖書に大いに惹かれている。その細かな過程をいま紹介することはできないが、聖書はとことん読み尽くした大矢。しかしまた、信仰には飛び込めない。時折、聖書についてかなり深い話が始まり、またそれを受けて自分の場合は、といったふうに聖書を中心に話が始まることが度々あった。大矢は、聖書には傾倒するし、教誨師には敬意を払い頼りにさえしているが、キリスト教会というところには失望している。著者もまた、聖書には魅力を覚えていたし、この出会いもあって、教会に通うようになる。牧師にずいぶんと話を聞いてもらうなどして、教会生活を送るものの、救いや信仰を求めて教会に通い続けることを「失礼」だと感じて、結局教会には通わなくなったということが、「あとがき」に記されていた。
 但し、この往復書簡はまだ続いている。それが「ふたりの読書会」である。著者の参加する読書会には大矢もその本を読んでもらい、感想文を送りその会で朗読する、ということも繰り返されており、会のメンバーにも高く評価されている。その感想文が本書の巻末に掲載されている。とても質が高いし、見事なものである。
 さらに、本書に登場したブックリストや、登場していなくても大矢に送った本のリストが、そこに挙げられている。私が嬉しかったのは、けっこう知っている本が多かったことだ。なんだかんだと、読書の幅を拡げてきたことが、ここで役立ったと言えるかもしれない。それでも、このリストの半分も知らないだろうとは思う。まだまだだ。著者が「100分de名著」を見ていることから、重なる関心もあるようだったが、やはり読んでおきたい本というものについては、重なる部分が多いようだ。
 だから本書は危険である。リストにある本を、片っ端から読みたくなるのである。しかし、それはさすがにできないから、さしあたり書簡の中で大変盛り上がっていた作品について、すぐにでも読みたくなった。検索してみると、近くの図書館にその二冊が存在することが分かった。やはり、図書館司書という経験の中で触れた本である故かもしれないが、このリストにある本は、図書館で読めるものが多いのではないかと推測される。本書自体も図書館の本として手に取ったのだが、このリストは、撮影しておこうかと思う。




Takapan
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