『オーラの発表会』
綿矢りさ
集英社
\1400+
2021.8.
発行年は2021年だが、「すばる」誌への連載は、2018年10月から2019年1月であった。事情はどうか知れない。もしやコロナ禍の影響か、とも思ったが、一年間のブランクの間にはまだコロナウイルス感染症は知られていない。なんだろうという不思議さを抱えながらも、本代の方に移ろう。
単行本で200頁を超える一篇だが、長編にカウントする人がいてもいい。だが、だとすると、物語の進展が殆どなく、澱んだ水たまりを眺めているような印象を与えているから、余計に間延びさせることになるかもしれない。
女子大生となった片井海松子が主人公である。この名前は「みるこ」と読む。父親が庭に植えた松の木に由来するそうだか、読み方からして奇妙である。それが、この人物のキャラが風変わりであることを暗示しているかもしれない。
大学は、さして実家から遠くない。だが親は彼女に、独り暮らしを用意する。淡々と世間を観察する最初の辺りから、海松子の普通でない有様が描き出される。まね師と心の中で呼ぶ友人が高校からの連続。名前は萌音だが、美人系統の海松子の真似ばかりしているので、そう呼んでいた。さらに大学には、小学校のときからの幼馴染みの奏樹がいる。これは金持ちの息子なので、海松子は心の中で七光殿と呼んでいた初めのうちは、他にもリーダー格のあぶらとり神と呼ばれる存在もあり、うっかりしていると誰のことかと分からなくもなる。後に、まね師のことは本人に話すこととなり、物語は本名で綴られてゆくことになる。それにより、展開が変わってくるのである。
最初は、大学生活や独り暮らしがぎこちなく始まるのだが、そのうち慣れてくると描写もなくなってゆく。そして人間関係がいろいろ乱れてくる。奏樹は、海松子に好意を持っている。また、大学教授の父の教え子の諏訪も、海松子を見初める。見た目の問題なのだろうか。だが海松子としては、誰かに恋心を抱いたこともないし、人間を突き放した眼差しで見つめている。
アルバイトで塾の講師を始めるが、子どもたちには不評で、塾でも厄介者扱いされているふしがある。本人は動じるわけではなく、淡々とその世界を眺めている。まるで自分がその世界にいないかのように。
バカンスに誘われても悩むことなく、何か頼まれものをしても、物理的に可能であれば断ることもなく、柳に風で受け容れてゆく。誰かに流されるということもなく、ただ我が道を行くという雰囲気は、他の綿矢りさ作品にあるような、何かに執着したり、人を気にしすぎて空回りしたりするようなキャラクターと一線を画している。
綿矢りさは京都の人だが、特別に京都を舞台にしたものの他は、方言を入れてくるタイプではない。だがそれにしても、友だち同士で腹を割った形で応答する会話というものがあるだろうに、この海松子は、常に突き放したような、冷たい標準語で会話をする。いまで言うならAIが話しているような口調だ。
こうしたキャラクターに惹かれてゆく読者がいるかもしれないし、そっちがその気なら、と読者の方でも一歩引いて俯瞰するような姿勢で読んでゆくことがあるかもしれない。
タイトルの「オーラ」は、最後の方で一気に進展することで、突然感がないわけでもない。これはおかしな宗教か、と見紛うような能力を、海松子が意識するのである。それを友だちに発表しようということで実家に登場人物が勢揃いするのだが、そこでそのオーラは開花せず、しかし海松子はそれなりに何かを見出すような気持ちになるのだった。
随所に、読者をくすぐる表現があるのは綿矢作品にはよくあることだが、冷たく突き放した世界観が、決して孤独にはなっていないということに、本人だけが気づいていないのだろうか、とも不思議に思った。心を閉ざしているというのでもない。だが開くような心がある様子もない。能面のような態度が延々と続く中で、最後に異常な能力を主張するところは、それなりに捌け口が見出されたかのようで、ほっとする。が、その捌け口が、世間から見れば尋常ではなく、他のとても常識的なというか、ありがちな若者たちに比べて、やはり海松子の不思議ちゃんがいっそう際立つのであった。
好みは分かれるだろうが、退屈なストーリーの中に、不思議な光を放つ力作である。また、これまで綿矢りさは、自分の実年齢に沿った主人公を描いて成長してきた感があるのに対して、本作は、自分よりもかなり年下の年齢を描き、自分の世代の登場人物を無くしてしまった。どう描くか、実験していたのかもしれない。『生のみ生のままで』は結果的に単行本が本作より前に出ているが、執筆は同時期か、むしろ遅い。本作には、『生のみ生のままで』の世界観は関係ないかもしれないが、新しい世界をつくりはじめたその作品のための、何かしら助走になっていたとしたら、さもありなん、と思う。

た
か
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