本

『あのころなにしてた?』

ホンとの本

『あのころなにしてた?』
綿矢りさ
新潮社
\1300+
2021.9.

 著者初の公開日記である。文学と言えるようには思えないが、見たまま感じたままを文章で記録しているという価値がある。
 これは、2020年1月から12月までの日記である。
 コロナ禍が始まったときの日記なのである。
 年表のような記録を繙けば、何月何日に政府が何を発し、誰が亡くなったといったニュースは調べられる。だが、そのときに人々がどういう生活をしていたか、ということは、記憶の中にしかない。あるいは、断片的にこんな思いをした、といったことしか思い返せない。自分が日々見ていたものを、定点観測の如く記録してゆくというのは、よほど日記を忠実につけている人でなければ、調べ直せないであろう。
 余談ではあるが、私は著者よりも多い分量で連日日記を書いている。極めてプライベートな内容ではあるのだが、どのように世の中を見ていたかは、著者には及ばずとも、幾らか見返すことが可能である。
 さて、著者は、1月については、家族のほのぼのとした出来事から書き始めているが、2日目の記録が、1月24日になり、武漢での異変、感染症の話が出たことが記されている。すでにこの時点で、コウモリという話になっている。他には自らの生活や仕事の内容に触れつつ進むが、2月になり、クルーズ船のことが書かれている。マスクの必要とその不足、特に子ども用のマスクに困った話や、アルコール消毒が外の世界に設置され始めたこと、そもそも外出が憚られるような雰囲気になってくる様子などが、サスペンスドラマばりに、迫ってくる様子が感じられる。
 大人としてその時を体験していた者にとっては、「そうだった」と思えることばかりである。あるいは「そのときもうそうだったのか」と驚くことにも出会うだろう。
 イベントが次々と中止されてゆき、室内でウェブサイトに浸る日々が始まってゆく。Zoom通信が必要になり、仕事の上でも用いられるようになってゆく様。「不要不急の外出」という言葉は、日々合い言葉となっていた。いまはたぶん誰も使わない。  2月末には、小中高への臨時休校要請が出た。マスクはもちろん、シールドも使われていた。諸外国の悲惨な知らせも届く。感染者数が少し減ってくると、このままなくなってゆけばよいと願ったりもするが、また増えてゆく。
 この後、春から夏、秋から冬へと、克明に綴られる。オリンピックの話もあったし、GoToトラベルの話題もある。無観客試合が続くプロ野球の場で、ペッパー君がソーシャル・ディスタンスの解決策として活躍し始めたことまで書いてある。こうして、12月の頭まで延々と「あのころ」のことが綴られている。
 私たちは、それを思い出すことができる。だが、こうした刺激がなければ、忘れている。少なくとも、忘れたいという潜在意識のために、心の奥底に仕舞っていた。  私は思った。この本は、思い出したくない人にとっては、何の魅力もない。忘れてしまいたいことばかりが詰まっている。だが、あのころの悔しさや辛さも含めてすべての、自分の生活と思いが、確かに蘇ってくる。復活させる力をもっている。
 最後に「あとがき」が、10頁ほどにわたり綴られている。コロナ禍の収束を願いつつ、「あのころなにしてた?」という題名にしたことを告白している。しかし、この「あとがき」の頃は、その願いが叶えられる日は益々遠くなっていることも打ち明けられている。そして一年間を振り返り、日々の日記とは異なる視点で、講評のようにもまとめられている。
 著者の意志は、「緊急でない事態の、日常の大切さ、得難さを知っているからこそ、世の流れに従いつつ、自分の周りの生活のテンポを見失わずにいたい」と表されている。それに続いて、文学者らしく、ふとした言葉遊びで、短く的確に、自分へのエールを送る。それを最後に見たときに、ここまで読んできたよかった、としみじみ思う。
 さて、私からも最後に、大切なことをここに置いておきたい。それは、この本がとても大切だ、と言いたいがための小賢しい問いかけである。
 私たちが忘れてしまいたいと思うかもしれない、あのコロナ禍のことを記録しているこんな本などもう見たくない。それも個人の感情であれば否定はしない。だが、そればかりでいいのか。私たちは、あの戦争の記憶を忘れたい。戦争へ至る時代のことなど、知らずに済ませたい。気にしないで楽しく生きていたい。――ほんとうに、それでいいのか。
 被害者であると共に、加害者にもなっていった、あのときの国民と同じ道を歩むことになるかもしれない。それを学ぶ必要が、私たちにはあるはずだ。




Takapan
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