本

『アンジェラの祈り』

ホンとの本

『アンジェラの祈り』
フランク・マコート
土屋政雄訳
新潮社
\2800+
2003.11.

 先の『アンジェラの灰』の続編である。アイルランド人の貧困家庭で苦労して過ごし、兄弟を次々と喪い、父親の失踪もあった。働いて金を得たらアメリカに行くんだ。でも、様々な失策をしては仕事を辞めさせられる。タバコをぷかぶか吸うだけが唯一の趣味のような母親は、すべてに耐えている。
 そしてついにアメリカに渡る。高校に行ったことがないのに、幸運にも、大学の聴講を許され、高校の英語の教師になる。
 恐らく大部分は本当のことであろう。自叙伝という触れ込みである。だが、元々の作家ではないのに、軽快な文が読みやすい。否、英文の調子を知らないからそれは分からないけれども、翻訳が良い、ということであるかもしれない。
 アイルランドの差別の数々にも遭いながら、いきり立つことをせず、激しい感情をぶつけるというふうでもなく、どこか飄々と風をかわしてゆくような流れは、読者を疲れさせない。盛り上がりに欠けると見る人もいるかもしれないが、自叙伝はエンタメではない。派手なアクションや大事件がなければ、盛り上がらないと不満をもつ者は、何か勘違いをしている。
 だが、兵隊としての訓練の経験もある。その背後には、アメリカの戦争の現実がある。体験者ならではの出来事や考え方が、生々しく描かれている。
 そしてマコートは、大人になってゆく。父親にすら、なる。可愛い娘も与えられる。そのあと、どうなったか。それはここで明かすことはできない。
 訳者が、『アンジェラの灰』の「訳者あとがき」で、そもそもその「灰」とはどういう意味なのか、という不思議さが伴っていたのだけれども、その意味はこの『アンジェラの祈り』を訳してから分かった、と書いていた。私もまた、その意味を本書で覚った。もちろん、それをここで明かすことはできない。ただ、ちゃんと答えを作ってくれている、ということについては、間違いない。
 ただ、本当に続編の方が「祈り」でよかったのかどうか、その辺りのことを深読みすることは私にはできなかった。
 それから、教育への関心から、高校での教師としてのマコートの姿は、私にとってはかなりの臨場感をもって読み進めることができた。その中で、どんな高校を卒業したのかと生徒に問われて、必ずしも嘘を言えない先生の姿が、私とは違うような気もした。ずいぶんと差別を受け、貧困の中で育った主人公の感情に、私は自分のことを重ねることができないのだ。それに、社会環境がまるで違う。移民問題も含めて、やはり人間が生きてゆく社会や習慣などというものは、それぞれ異なる背景をもち、それがまた人間をつくってゆくのだ、ということがよく分かる。
 それから、教会生活は、未成年の頃に堅信礼や告解で悩むような場面があったのと違い、教会がどうとかいう話は、だいぶ経る。だが、カトリック魂とでもいうのか、カトリックこそ信仰なのだ、という土台は全く変わらない。いちいちプロテスタントがどうとかいうことを気にしているし、ただの町の人を見る眼差しの中にも、そういう気持ちを含めてくることがある。そして、これは罪だという思いが襲ってくると、地獄に行くのか、というような声も聞こえてくる。
 こうした信仰は、魂の底にこびりついている。それは、たんなる教会生活だとか、教義を知っているとか、そういうことで計ることはできない。腹の底に据わっている何かである。自分自身を形成して、立たせている何か、そこに信仰の真髄があるに違いない。私はこうしたところに、信仰とは何か、という問いを突きつけられたような気がしてならなかった。物語とはまるで関係がない。だが、マコートの何気ない思いや心理の中に、その人間の本質をつくりあげ、染め上げている神の力を感じることがあっても、いいのではないだろうか。
 本書についての感想文は、ネットに幾らでもある。だが、これこそが、私であるが故の、感想である。




Takapan
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