『マルセル・エメ傑作短編集』
マルセル・エメ
露崎俊和訳
中公文庫
\857+
2005.9.
ふとしたことで「壁抜け男」などに触れ、興味をもったため、別の作品をも読んでみたくなった。日本ではそうたくさん翻訳されているのではないという。「エメ」は「エイメ」や「エーメ」と紹介されることもある。生まれ育ちから苦労の連続で、病気を煩う中で執筆したものが認められて、多くの戯曲や小説を書いたという。子どものためにも作品を多く遺しており、フランスの20世紀中期で人気があったようだ。
ただ、当時は実存主義や構造主義など、フランスでは思想的にも芸術的にも、非常に強い特色のあるものがもてはやされた。その陰で、エメは地味な活動をしていたようにも見え、翻訳が届いていないという事情であるらしい。
ここに収められているのは「こびと」「エヴァンジル通り」「クールな男」「われらが人生の犬たち」「後退」と、やや長い「パリ横断」「ぶりかえし」である。
それぞれ、冒頭から読者を引き込むものがあり、登場人物も多岐にわたる。「ぶりかえし」は若い女性が語り始めるが、かなり勇ましい、個性あふれる主人公である。それでいて、なんだか可愛らしいという感想をもってしまうのは、私が男だからであるかもしれないが、たぶんそうとばかりは限らないだろうと思う。
決して道徳的ではなく、ヤバいことを、するような男も、あちこちの話で現れる。かと思えば、とても呑気な犬の思い出を語るだけの話や、思想的に親にたてつく息子がお伽噺のような展開に乗っていくものもあり、作品により、与える印象が様々である。同じようなムードをなかなか繰り返さないので、一つひとつの話を経ていくときに、けっこうドキドキする。次は誰が何を起こすのか、冒頭を楽しみにするような気持ちである。
必ずしもお決まりの結末があるわけでもないし、だがとんでもないだけで終わるというのも違うような気がする。どこかに、信仰心が影響するのではないか。訳者はあとがきの中で、その点を指摘している。預けられた祖母が教会へ連れて行き、マルセルに洗礼を受けさせたのだ。これに対して、宗教的な偽善を覚えて、彼はそれを暴くような精神を以て作品を描く。だが、人々の心の中には、神に救われたいという素朴な願いがあるのも確かだと分かっている。この二重性が、エメの眼差しをつくつているのではないか、というように語るのである。
ゾラもまた、下町のやるせない環境で強かに生きる庶民を描いた。華やかな舞台ばかりが人生ではない。むしろ隠れた、暗い日常の中に、殆どの人生がある人が多いわけだし、それしかない人が大多数であるのだろう。それを描いて何が楽しい、と思われるかもしれない。だが、そこに自分を見出すような読者はもちろんのこと、陽の当たる道を歩む読者もまた、自分が逼迫させている張本人であるようなこの社会の中で、喘いで生きる人々のことを、きっと知らねばならないはずである。
のっけからとんでもない設定で、そしてとんでもないことが起こってトラブルになっていく「こびと」になると、これは何を意味しているのだろう、と勘ぐりたくもなるが、概ねそのようなレトリカルな眼差しよりも、素直に人物たちに共感しながら場面につきあっていくのが、本書を楽しめるスタイルではないか、というようにも思える。