本

『ジャズの歴史』

ホンとの本

『ジャズの歴史』
相倉久人
新潮新書203
\680+
2007.2.

 息子がジャズを始めた。親父としては、少しは関心を寄せてみるものだ。世間でよくある話である。音楽として、好きではあった。だが知識はなかった。ミュージシャンの名前だけは知っていても、曲と結びつかない。そもそもジャズとは何だ。どういう歴史でつながっているのか。知りたいではないか。
 しかし、マニアが喜ぶような詳しさは要らない。まずは地図のようなものが欲しい。そこで見出したのが本書である。「新書で入門」とタイトルに添えてある。評判もいいようだ。これにしよう。早速取り寄せた。
 ジャズに詳しい人から見れば、あまりにも浅い叙述だと不満を述べるかもしれない。けれども素人にはこれでいいと思う。
 まず、ジャズは、定義しようとすればそのすき間をするりと抜けていくようなものだという。この百年ほどの中で、人間のエネルギーが弾けて、何ができるかを楽器で探究しようとしたら、こんなものが現れた、とでも考えておこうか。ただ著者は、これを歴史を辿ることで体験していこう、というポリシーを抱き、それを保とうとする。それが本書のやり方である。
 アフリカとヨーロッパが、アメリカにおいて出会う。文化的な混合が行われた。これを本書では「クレオール文化」と呼ぶ。カリブ海の島々で生まれたスペイン人や、ルイジアナ植民地生まれのフランス人を指す語であったそれが、アメリカで白人と黒人との混血を言うようになったのだという。ただ、アメリカにおける深刻な人種問題を社会的に取り上げるということは、殆どしない。あくまでも音楽である。だから、ブルーズやラグタイムといった形で誕生したとするジャズが、ニューオリンズ・ジャズへと展開し、シカゴに至るとマフィア社会からニューヨークへと続いていったジャズの目の前で、世界恐慌が起こる。そこから立ち上がったときには、スウィングという姿をとり、ビッグ・バンドへと進んでいく。実験的に始まったというビ・バップから、マイルス・デイヴィスの登場となる。このマイルスがジャズの歴史の中で、大きな影響を与えたというように、著者は本書全体で示しているようにも思えた。多分実際そうだったのだろう。マイルスもそうだが、人種問題が社会の表に出て来て、アメリカが建前上かもしれないが、大きく変わる時期である。
 やがて日本にジャズ・ブームが起こる。その後、映画とタイアップするような形をとることが起こり、詩との結びつきも盛んになる。それからフリー・ジャズと呼ばれる分野が花開き、ジャズがそれまでとは違うものになるかのようにも見えた。そこへコルトレーンという英雄が現れ、フリー・ジャズはヨーロッパへも及ぶ。ジャズはもはやどんな形をもとるようになり、これがジャズだ、などとは言えない時代になっていく。
 最後に、ポストモダンという呼び方で、なんともまとまりをもたないような時代になってきた、と著者は結ぶようになる。本書の発行が2007年であるから、その後のことは書かれていない。さて、どうなのだろう。歴史上の昔のジャズ音楽も素敵だ。それを楽しんで、もちろんよいのである。しかし新しいものを求めるアーチストも当然いる。それを世の中がどう受け容れるものか、それがまた難しくなっている。特にネット環境の中で、音楽というものの意味やあり方が大きく変化し、さらに電子音楽という形態や、AIが作曲をするというようにまで音楽世界が進展している。否、果たしてそれは進展なのだろうか。ジャズは、どこまでも人の息づかいが感じられる楽器とそのセッションから成り立っていた。どんなに自由にスタイルが変化しても、コンピュータのプログラムで演奏するジャズは、考えられなかった。人間のエネルギーが、人間の業として、しばしば一度きりの演奏として、生み出されてきた。これからの時代のジャズがどうなるのか、あるいは果たしてそれをジャズと呼んでよいのかどうか、そうしたことも、問われるようになるであろう。
 著者は、「物語」が必要なのだ、と自問しつつ訴える。いまは「小さな物語」があちこちで芽生え、そしてまたなんとか生き延びようとしているように見える。が、かつては「大きな物語」があったのだ、と言う。「大きな物語」があってこそ、これがジャズだ、いやジャズではない、などと互いに切磋琢磨して、現在を乗り越えようとするエネルギーがあったのだ。それが正に「歴史」と呼ぶべきものであった。つまり本書の題が「ジャズの歴史」となっているのは、一般的な意味で歴史を語りますよ、という意味のほかに、果たして「歴史」とは何か、と問うていたことになる。現代社会も、未来から振り返れば、何かしら規定される名称をもつことになるのかもしれないが、いま私たちは、混迷の中で、従来人間が捉えていた「歴史」というものが終わったような感覚をもつことすらある。ジャズも、多分にその例を逃れないのであろう。
 一人ひとりは、自分の生活のため、金儲けのため、また自分の腕を見せるため、様々な理由と目的のために、演奏したり作曲したりしていたに違いない。その人間臭いあり方だけは捨てることなく、社会的な叫びとしても、意味を隠し持ちつつ、ジャズは歴史を作ってきた。人はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。哲学的な問いがあるが、ジャズもまた、どこから来たかを振り返ることによって、人間が音楽を通して表したい凡ゆるエネルギーや力を載せて、どこへ行こうとしているのか、読者と共に、著者も考え、また見守りたいというように思っているのではないかという気がする。2015年に他界した著者は、その答えを見出していたのだろうか。




Takapan
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