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『フラナリー・オコナー全短篇(上・下)』

ホンとの本

『フラナリー・オコナー全短篇(上・下)』
フラナリー・オコナー
横山貞子訳
ちくま文庫
\1400+:\1400+
2009.3;2009.4.

 若くして亡くなった、アメリカの作家。O.ヘンリー賞を四度受賞した短篇の名手としていられる。20世紀半ばのアメリカの空気をよく伝えるが、表現の中に暴力的なものがあると寄せ付けない人もいたようだ。カトリック信徒であったそうで、決して護教的ではないにしても、キリスト教精神がいろいろな形でしみこんだ情景が描かれているように見える。
 大江健三郎がしばしばこの人について言及しているらしい。確かに、味がある。きっちりと人物や風景を描いており、目の前に映像が浮かんできそうである。この映像化というのは、ひとつの才能であると思う。どんなに人気作家であり、映画の原作であったとしても、その小説だけからはどうしても画が浮かんでこない、ということがある。しかしオコナーの場合は、何気ない表現、淡々とした語り口調であるように受け止めつつ、実にその様子が目の前に現れてくるような感覚を与えてくれる。
 善悪を小説の中で定めようとなどしないが、何かしら人間の深いところにあるものを耳かきで掻くような体験を、読むうちに重ねていく。ストーリーも、必ずしも解決をするものではないにしても、そうきたか、と思わせるような、単純ではない形で終わるように感じる。
 全短篇というくらいなので、けっこうな量になる。そのため2分冊としたが、それでもそれぞれ400頁を超える。文庫で20頁くらいの長さのものが多く、一つの物語の雰囲気を、短い時間で味わえる。上巻には「善人はなかなかいない」という有名な短篇集を含み、デビュー作の「ゼラニウム」など、初期の作品を集めている。その前者の中に、ファンの多い「田舎の善人」があり、「強制追放者」と共に、他より少し長い物語となっている。義足をつけた娘ハルガのところに訪ねてきた、聖書を売り歩く青年との間に奇妙な関係が生まれる。巻末の「解説」によると、作者自身もこの作品を気に入っていたらしいこと、またストーリーの展開が、作者自身もわからないというようなあり方だったということなどが説明されている。登場人物それぞれの思惑というものが、物語を通じて十分に踊っている。
 難病のために39歳で没したオコナーであったが、その若さで人間の心と世の中の不条理や歪みを、よくぞこれほどに理解し、表現できたものだと驚くばかりである。それらを理論化するよりも、感性的に一気に描ききって、世を急ぎ足で去った人なのかもしれない。
 下巻は、短篇集「すべて上昇するものは一点に集まる」という、謎めいたタイトルのものと、後期の短篇が二つ収められている。全体的に、上巻のものと比べて、少し長い話が多い。
 それにしても、黒人問題は大きなテーマであるように見えるし、自分は信仰をもたない、というような宣言がそこかしこに見られるのも、目を惹く。さらに言えば、最後に一気に不幸が舞い降りるような終わり方をするものがいくつもあり、読後感があまりよいとは言えない。口と胃との間で、呑もうとしたものが往復するような居心地の悪さを覚える。なんだか弱い対応しかできないような人間たちが、辺り一面にいるように思え、歯痒い思いをすることもしばしばである。
 だが、それもまた「善人はなかなかいない」ということであるのかもしれない。私は個人的に、「パーカーの背中」が、ひしひしと迫るものを覚えた。「神なんて!」と背を向けるパーカーは、全身にちまちまと入れ墨を入れ続ける。それが自分らしさだと思うのだろう。ただ背中だけは、自分からそれが見えないので、それまで入れなかった。信仰からすればガチガチの女と結婚するが、うまくいかない。偶然遭遇した事故の中に神を見る体験をしたパーカーは、背中に入れる入れ墨のデザインを決める。そしていつもの彫師のもとへ行くが……。二重三重に、なんだかちぐはぐな噛み合い方を展開する物語は、たぶん実は鋭い信仰の問題の核心を貫いているのではないか、という気がしてならないのである。
 プロテスタントが主流であるアメリカで、その農村においてカトリック信仰をもつ著者が、人間を、飾らず貶めず、ありのままに見つめつつ、体力の限りを用いて綴った幾多の小説は、たとえすべてに共感できなくても、そのどこかに、読者は自身の姿を見るのではないだろうか。その意味では、これらの物語は、現代の聖書物語のアレンジのようなものであるような気さえする。但し、あからさまに神が出てくるのではなく、人間の世界の中での出来事が描かれているだけである。
 否、それは単に、私における経験であった、ということでいい。ひとが紹介してくれる本とは、自分の考えだけでは起こりえなかった出会いがある。読んでみたい、と思ったならば、それはもうきっと、チャンスである。私はしばしば、そのようにして、新しい世界を教えてもらうことを愉しみにしている。今回も、ありがたかった。




Takapan
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