本

『ディック・ブルーナ』

ホンとの本

『ディック・ブルーナ』
森本俊司
文春文庫
\750+
2019.7.

 白く輝くような紙質の本であり、そのままブルーナの絵本を彷彿とさせるものとなっている。2015年発行の単行本を改稿して出版された。ブルーナが2017年2月に逝去したためである。
 実際にブルーナと何度も会ったことがあるという新聞記者の著者は、これまでにもブルーナについての本を著しており、またブルーナやミッフィーについての特集誌に寄稿しているという。
 それで実際のブルーナの人となりをよく伝える叙述が、この本には溢れている。心のこもった温かな本となっている。
 だが、なによりも私が本書を読み進んでいて、涙が出てたまらなかったのは、「日本への思い」という章である。2011年、東日本大震災のとき、涙を流すミッフィーの絵が紹介された。私はよく憶えている。被災者ではない私が言うのは失礼かもしれないが、ありがたかった。子どもの涙を見たくないがために絵本に心配りをしてきたブルーナが、その子どもたちの涙を代弁したのである。
 そのイラストは、この記者の願いにより、届けられたものであったのだ。だったら、この本の記事は無条件で信頼できるはずだ。この著者の声が、あのミッフィーの絵となって、子どもたちに届けられたのだ。
 もとより、本書では基本的に「ミッフィー」という呼び方はしていない。さすがにオランダ語の「ナインチェ」をメインにしてはいないが、その経緯は十分説明されている。これは日本語にするならば、福音館書店が決めたように「うさこちゃん」が相応しいのであるという。従って、主に「うさこちゃん」として呼ばれながら、本書をあのうさぎが横断することになる。
 ブルーナの生い立ちもたっぷりと語られる。スヌーピーの作者であるチャールズ・M・シュルツもそうだが、女性に対しては奥手な面があるらしい。それでもブルーナのほうは、望んだ相手と結ばれる結果となっている。両親はプロテスタント信徒だが、信仰厚い中でも自由な考えをもっており、ディック自身にも大きな影響を与えているらしい。その「キリスト教的倫理観」についても、本書は触れている。デザイナーとしての仕事の中から、独自な世界をやがて築くようになるが、その辺りの家族との関係も丁寧に描いてある。
 1927年に生まれたブルーナは、第二次世界大戦を経験している。だから、戦争や戦いをその絵本には描かないのだという。漁師のもつ猟銃さえ、それとは見えぬように描き、それでいて漁師だということを認識させるという、離れ業を以て描いている。一つひとつの絵に、子どもたちの受け取り方を考えに考えて向かっているのだ。乗り物も非常に工夫され、その乗り物が分かるように、それでいて顔が小さくならないように、そして進行方向も分かるように、実に苦労して図柄を決めているのだ。その過程の説明に、驚くばかりであった。
 東日本大震災のときの涙するミッフィーの絵については先に触れたが、その涙にも奥深い意味が隠されていたことを、著者は明らかにする。他の絵本でも、稀にうさこちゃんは泣いている。だが、その涙は、その後に、泣かなくてよいようになるストーリーとなっていくのだった。その希望が、そこに祈りとして描き込まれていたのである。うさこちゃんに限らず、りんごやさかなが涙する絵が存在するのであるが、笑顔になっていく希望がそこには含まれていたのだという。
 但し、これも先に挙げたシュルツの訃報については、ショックを受けたらしい。親交があったらしく、シュルツもスヌーピーのパパの顔を、ブルーナに似せていたはずだ、と著者は推定する。
 はたして、ブルーナの願いのとおりに、東北などの子どもたちが、泣くだけ泣いた後、笑顔を取り戻したのだろうか。著者はその点を、自分にもまた責任があることを踏まえた上で、問い直す。そんな希望を与えることに、私たちは努めているのであろうか。
 ブルーナの人柄を伝えると共に、子どもたちへのその思いを読者に知らせようとした本である。私の心には、それが届いたように思っているが、分かったつもりにはなりたくない。ただ、新聞記者らしく、実に丁寧に、的確に伝えてくれているように私は感じている。
 最後に、酒井駒子さんが「解説」を入れている。ここにも、胸にキュンとくるような、ブルーナとの交流が描いてあるのだが、それはここでは明かさない。どうぞ本書をたっぷりと読み、目頭を熱くした末に、たどり着いて戴きたい。




Takapan
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