本

『アンジェラの灰』

ホンとの本

『アンジェラの灰』
フランク・マコート
土屋政雄訳
新潮文庫
\629+
2004.1.

 実はこれは文庫で上下2巻である。価格も発行日も全く同じなので、上下区別して表示はしていない。
 読書好きな人には大変面白いようだ。もちろん、面白くないわけではない。だが、もうひとつ気持ちが入ってゆけなかった。
 作者の自伝である。素人的なところで書いた自伝らしいが、確かに作品としてなかなかきちんと書けているし、読者を誘う天性のものをもっているようにも感じられる。但し、苦労して英語の教師になり、そうした経験を活かして60代半ばで回想して本作品を執筆している。作品は多いわけではなく、本作の続編ともうひとつくらいであるらしい。
 しかし、余りに本作品が有名になったことで、アラン・パーカー監督で映画化もされたという。イギリスの風土に好まれる小説のタイプかもしれないし、アメリカに渡るという形が、好感を得るものなのかもしれない。
 舞台はアイルランドのリムリックという町。アイルランドで第三の町だという。中央に近いところに位置するが、地元を愛し、人々がよく心を開いて交流するところであるようだ。規模は違うが、名古屋のような想像を勝手にしてみた。
 主人公、つまり「ぼく」の家は貧しい。父親の仕事がうまくゆかず、家賃も支払えないようなこともあった。ぎりぎりの生活をしていると言えるが、夫婦仲が悪いということはない。お金に限らない形での幸福がそこにある。というより、十歳から始まる「ぼく」からすれば、大人の生活や行いを、批判するような眼差しがあるわけがないのだ。その意味で、後から価値付けをするのではなく、そのときに自分が見た風景や聞いた言葉というものを、そのときの気持ちのままでよくぞこれだけ再現したものだと思う。
 実際、この父親、賃金をすぐに酒に浪費するようなところがあり、母親はよく耐えていたのだと言えよう。父親のその後については、どうぞ作品の中で確認して戴きたい。それにしても、どんな食生活をしていたのか、その極貧の姿は、私たちから見てずいぶん酷いものであり、よくぞこれで生きているものだとすら思える。だから、兄弟が死ぬ。死ぬことが続く。だが、「ぼく」から、とてつもなくおセンチになるということはないのだ。そういうものだ、という、やや淡々とした観察眼を以て、兄弟の死を見つめている。案外、それが正解なのかもしれない。その歳あたりの子ども視線や思いというものが、生き生きとここに描かれている。貧困の中の子どもからすれば、それは当たり前のことであり、それ以外の何も知らないということなのかもしれない。
 母親の名がアンジェラである。本の題は、その母親に献げるかのように付けられているのであろう。「灰」という意味がもうひとつ謎である。実のところ訳者も、訳しながらその「灰」という意味を、これぞ、と確信を以て示すには至らなかったということだ。そして、その意味は続編の『アンジェラの祈り』によって、ようやく自信を以て理解できた、というふうに漏らしていた。
 子どもの気持ちがよく物語に出ている。成長する子どもの立場から見えるもの、聞こえるものが描写されている。そこに大きな味がある。だから人気があるのかもしれない。だから、共感を得たのかもしれない。妙に大人目線の子どもが描かれる小説や映画もあるが、本作品はそうではない。子どもの立場から世界を見ていると言えるのだ。大人との付き合いや応対もそうである。
 成長して、郵便局で仕事をさせてもらえるようになる。まだ少年と読んだ方が相応しい年齢だ。酒を飲まされクビになるが、そうした中で知り合った体の弱い女の子と秘め事をもつ。そしてその子がやがて亡くなるのだが、そのときに「ぼく」は、かつて兄弟が死んだときには感じたことのない悲しみと涙を知るのである。
 本作品については、そのように性への目覚めというものも、ひとつの見所である。全く何も知らなかった頃から、少しずつ知ってゆく。それにより体験も加わるから、下巻の終盤の方は、かなり露骨な表現や展開が多い。その意味で、青少年にはあまりお薦めできない事情があろうかと思う。
 それと、その性的なことにも関わるが、物語は、すっかりカトリックの文化の中にある。極貧だが、カトリック人口は大部分を占め、貧困家庭の中でも、カトリックが生活に息づいている。それは宗教を信じている、という勢いではなく、ちょうど日本の仏教のように、生活そのものを形づくっているようにも見える。だから物語では、「告解」がかなり大きなウェイトを占める。子どもながらに、告解にドキドキし、司祭に向けて罪を告げるのである。堅信も経験する。妄想をしたことで罪を覚え、震え上がる。だがその信仰は、ある意味で強い。カトリックにつながっていれば、地獄に行くことはないと理解している。それに対して、地獄に行くのはプロテスタントだ。プロテスタントが何をするとかいう話で、地獄行きが決まっているからああなのだ、などと平気で呟いている。
 最初の方ではしばしば、何かショックなことに出会うと「イエス様、マリア様、ヨセフ様」と口癖のように唱えることがあった。聖書の話もちらほら登場するし、カトリック庶民の生活がリアルに描かれている。司祭の中にもいろいろ問題のある人がいることも分かる。すべて実体験に沿っているから、そういうのが作為なく描かれるのだ。
 この宗教的な意味合いを知るクリスチャンは、本作をより深く楽しむことができるだろう。ただ、宗教を知らない人が、カトリックとはこういうものだ、というように思い込んでしまうのももったいない。
 なお、アイルランドといえば、私はすぐに『赤毛のアン』を思い起こす。アイルランド系は親友のダイアナの方で、アンはスコットランド系ではあるが、ケルト文化を背景に、こちらはプロテスタント信仰の中で物語が展開する。こうした背景について、松本侑子新訳の赤毛のアンのシリーズには、綿密な注釈が組まれている。アイルランド文化についての恰好の資料となるのではないかと思うので、参考にして戴くとよいかもしれない。




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