『旧約聖書のこころ』
雨宮慧
女子パウロ会
\1500+
1989.5.
ローマ教皇庁立聖書研究所卒だという。とくに旧約聖書の解説には定評があり、ヘブル語を用いて私たちに分かりやすく、聖書の読み方を教えてくれる。もちろん新約聖書のギリシア語についても深く読む読み方を示してくれるわけで、その解釈もはっとさせられるものが多い。先日書店で偶然見つけた『聖書に聞く』はそのように新約旧約区別せず、聖書からじっくり聞き出すことを、語学的に文化的に相当な根拠をもって教えてくれるものであったが、それで以前読んでいたこの『旧約聖書のこころ』を再び開こうという気持ちになった。一度読んでそれで終わりとするのは、あまりにももったいないと思ったのだ。
ちょうどこのときFEBCでは、雨宮慧さんの「旧約聖書のこころ」という同題のコーナーが毎週火曜日22分間放送されていて、私はそれをすべて原稿に起こすことを続けていた。放送自体はずいぶん前の録音で再放送ということだから、実に運良く聞けたということになる。恐らく気持ちとしては、本書と同じ思いで、それを放送で語るに相応しい形で展開していったのだろうと思う。が、スタンスは少し違うようで、放送では毎回一定の場面を連続するストーリーの中で取り上げ、そこからひとつのヘブライ語の言葉を主役とし、その使われ方を聖書各地から拾い集めて整理するというふうになっている。本書は、やはりひとつの言葉や考え方を基礎にして一話が展開するが、まるで一つひとつが説教であるかのように、訴えるもの、心に響かせるものがあるように思われる。そして、基本的にどの回も、最後にはイエス・キリストに、特に十字架のイエス・キリストに結論を運んできて結びつけるようにしてあるのである。
カトリックの雑誌に連載されていたものを集めたものであるが、このまま雑誌にあったのかと思うと、その水準の高さに驚く。半端なく高度なレベルで、聖書の言葉とそこから語りかける神の声を届けてくれるものと私は感じている。
ひとつの話が10頁程度に収まり、毎回テーマが決まっている。契約・おきて・土地・ヘセド……のように初めから並んでいるが、ここにストーリーがあるというよりも、断片的に話題を提供していくれているように見えるのは、確かに雑誌的である。旧約聖書にはそれなりに知識があった私であったが、一つひとつの言葉の使い方やこめられた意味、またその解釈のために必要な手段など、驚き知らされることの連続であった。そしてそれが、たんに知識や研究のためになされているのではなくて、信仰のために用いられているところが、通常の学者のものとは違うと感じた。つまり放送を聴いていても分かるが、雨宮神父自身は、たいへんに聖書をオーソドックスに信仰している、あるいはそういう信仰を伝えようとしていることがよく分かるのである。だから、神からの声を聞くという姿勢は、カトリックでいう黙想なのか何なのか私には適切には言えないが、実にリアルに神との交わりを感じさせるものがそこにあるように感じられる。
まだ販売されているようだ。これは学びに用いて損はないとだけは言っておきたい。私はかつてこれを読んだとき、これに「続」があることを知り、探したが、古書としても出回っていなかったので、キリスト教書店の方に全国に問い合わせてもらったが、それでも見つからなかった。それでしばらく忘れていたのだが、これを機会に改めて調べると、「続」のほうもいまは出回っていることが分かった。それでそちらも入手した。これから読むが、スタイルは同じようである。素材が増えたということになるだろうか。楽しみにしている。