遺された民の祈り
チア・シード
詩編80:9-20
バビロニア帝国の軍隊がイスラエルを攻めます。エルサレム神殿は破壊されます。有力な人間たちは首都バビロンへと連行されました。いわゆるバビロン捕囚という出来事が起こり、イスラエルの歴史にとり決定的な事件となりました。旧約聖書の成立そのものが、この捕囚期だったのではないか、という研究もなされています。
しかし、捕囚の民となったのは、民族の一部ではありました。カナンの地に遺された人々のほうが、数は多かったと思います。統治は具体的にどうであるか私は知りませんが、自由で活発だったようには思えません。細々と民族の誇りももてずに、ただ生きているだけであったのかもしれません。
敵国の役人のもと、民族の誇りなど全くもてないままに、次の一次独立の時期まで、死んだようにしていたのではないかと思われます。カナンの地にいた人々は、どういう世界を見て生きていたのでしょう。何を思って生活していたのでしょう。この詩を、そういう眼差しから私は今回見つめてみました。
かつてのイスラエルの栄華を知る者として、エジプトからの脱出は大きく捉えてみたい気がします。民族をぶどうの木に見立てて、エジプトからそれを引き抜き、約束の地に植えたのだ、と聞き知っています。その枝は地を覆い、翼を広げる如く繁栄しました。しかしいまやその面影はなく、荒れ果ててしまい、通りがかりの者に実りが奪われるほどです。
ああ、主よ帰って来てください。もはやここにはおらず、顧みてくれてもいないような主の名を、人々は呼びます。詩人は叫びます。主がここに植えて下さったのではありませんか。主の右手をここに置いてください。「森の猪はここを食い荒らし」とのフレーズがありますが、いまイスラエルにいるからこその描写であるような気がします。
荒れたこの地にいる私たちは、あなたを離れることはありません、そう詩人は誓います。エルサレムの荒廃の様を見て嘆きつつも、それと正面向き合っているが故の誓いです。それは試練です。その中で、主の名を呼び、求め続けます。どうか私たちを生かしてください。その祈りを、さて、いま私たちは他人事のように眺めるつもりでよいのでしょうか。