使命を受けた

チア・シード

出エジプト記4:10-13   


さあ、あなたが私に代わって、民に私の意志を語るのだ。突如モーセの前に現れて使命を与えた主が、次々と命じてきます。それも、夢のような筋書きをまくしたてて、イスラエル民族を奴隷エジプトから救い出すという、なんとも都合の好いストーリーをもちかけるのです。だから、モーセよ、語れ、と。
 
神から使命を受けた説教者は、こういうチャレンジを受けるものではないでしょうか。人間の方で、思ったことを喋るのならそのようなことはないでしょうが、神から受ける人は、ためらいを覚えることでしょう。モーセは、人々が自分を信じないだろう、と主に訴えます。主がモーセに現れたなんぞ嘘に決まっている、と言われたらどうしようもない、と。
 
そもそもモーセは、イスラエルの血を引くにしても、異端的な位置にいます。エジプト王家の王子のように養われていました。成人してエジプト人を、イスラエルの出自を知った故に殺害しており、逃亡するに至っていました。それが突然イスラエル人の上に立ち現れ、主がエジプトから脱出させてくれるのだ、などと演説ぶることになるわけです。
 
いったい誰が信じるでしょうか。モーセの不安は尤もです。主はこの訴えを咎めることはしませんでした。では、持っているその杖を魔法の杖としてやろう。西洋のファンタジーにこうした杖が物語で登場することがありますが、そのルーツなのでしょうか。モーセの杖は蛇となり、また戻ります。これで人々は信じるであろう、と主は楽観的です。
 
主は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神だと宣言します。モーセに現れたのは、その神なのだと信じるだろう、と。しかしモーセは、自分は口下手だと弁解を続けます。困った「使い」です。しかし、神はモーセを諦めず、決して振り切ることをしませんでした。人間の自覚を超えた役割と使命を、神は時に与えてくださるものなのでしょう。


Takapan
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