仲介者モーセへの信頼

チア・シード

出エジプト19:3-9   


モーセに神が語り、モーセがそれを長老たちに教える。すると民が皆、それをすべて行うと答える。これをモーセが主に伝える。主は再びモーセに対して言う。こうして主と民との間にコミュニケーションが成立し、契約が成立することになります。この直後に十戒が与えられるのです。旧約聖書最大のイベントである十戒の授与です。
 
その直前に、モーセが民と主との間をつなぐ様子が描かれていたわけです。シナイ山の前で宿営したときのことでした。鷲の翼の上にイスラエルの民を乗せ、主のもとへ連れてきたのだという描写は、実に美しく、力強いものです。人間へ知らせるイメージとして、なんと生き生きとしていることでしょう。目的地まで、ひとっ飛びであるかのように。
 
この事実を人々は見たではないか。荒野をじりじりとうねり歩く旅が、翼の上で運ばれるものであったとは、意外ではありますが、私たちが労苦と汗の末にたどり着いたようなことが、神の目からすれば、翼で飛んできたというようなものなのでしょうか。あるいはその逆に、人が苦労と見ただけのことなのでしょうか。解釈次第かもしれません。
 
主の声に従い、契約を守るならば、他の民すべてにまさって主の宝の民となるのだ、と告げています。すでに宝の民である、とした申命記とは少しニュアンスが違います。契約を守るなら、という条件付きだからです。「すでに」と「いまだ」との格差を感じさせる表現ですが、おそらくそれほどの差はないような気がします。
 
聖なる国民となるのだというこのメッセージを聞かされて、民は直ちに肯定の返答をします。人間はどうせ裏切る者でしかないにしても、そして単純であるにしても、それはそれでよいのです。民がモーセの言うことを信じるようになることへの、主の配慮が際立っています。主を語る者への信頼がたいへん重要になる風景でした。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります