いまから従うならば
チア・シード
申命記4:1-4
再びモーセの口を通して、イスラエルの歴史と律法が告げられます。うまくまとめたところもありますが、捕囚の情況を反映したものと思われる叙述も見られるように思います。かつてモアブの女たちと交わって、ペオルのバアルに生け贄を献げ、異国の神々を拝んだ事件がありました。そのとき、民の頭を処刑せよ、と主はモーセに命じます。
モーセは、ペオルのバアルに従った者を粛清します。このときミデヤン人の娘コズビを連れ込んだ、シメオン家のジムリとを、身の重なったまま槍で一突きにして殺したのが、アロンの子エルアザルでありました。後にもその活躍は語り継がれることになります。但し、この申命記では、その英雄譚には触れられていないようです。
しかし、こうした偶像崇拝者をイスラエルの中から除くということは、民族の一致のためには必要なことでした。このとき大抵、女絡みであることも、熟考の余地がありそうです。外国の女を招き入れることによって、その女の国の神々をも入れたことになります。それは、後のソロモン王もそうであり、これはソロモン批判の記事であるのかもしれません。
イスラエルは、ソロモンの子の時代に南北に分裂しました。それは、ソロモンの心が主から離れたことに基づくように、歴史家は評価しています。さて、滅ぼされた者たちの話は、後のイスラエルの民への見せしめとなりました。いまあなたは生きているではないか、この呼びかけは強いものです。それは他の神々に従わなかったからです。
しかし内心びくびくしていた人もいることでしょう。だから、初めのところの勧告が生きてきます。いま掟と法に耳を傾けよ。これまで心が揺れていた者、実のところ異国の神々を拝んでいた者も、いまここから主に従うならば生きるようになる、ということです。律法は自分勝手に解釈してはいけません。削るな加えるな、というのはそういうことです。