今も同様に響く
チア・シード
申命記10:12-22
今、主があなたに求めていることは何か、尋ねられています。答えの分かっている問い方です。答えは、主に従い主に仕え、戒めを守れということです。あなたの神、主があなたにこれを問うています。このとき、すでに神とあなた、あるいは私との関係が成立していることに注目します。あなた、とすでに呼び出され、神の前に立たされているのです。
神と一人ひとりが結びついています。主を畏れよ。主の道をいつも歩め。主を愛せよ。主に全身全霊で仕えよ。今日命じる法を守れ。そうすればあなたは幸いである。たたみかける言葉は厳しくもありますが、温かさに満ちています。今、そして今日と告げられるのは、日付のことではなく、日々この瞬間毎に新たにその都度与えられることを表しています。
新しい歌を歌えと詩編でいうのも、これと同様に思われます。そうしてこれらの命令がすべて幸せということに向けられていたことを知ります。人が願うような幸福とは異なるかもしれません。与えられる恵みという世界を私たちは神から知らされます。与えられているこの世界はすべて主のものであるという視野を広げられることがそのきっかけです。
幸せのチャンスは、こうして別の世界が見えてくるところにあります。もし世界が私のものであったなら、失うことを恐れることでしょう。しかしすべてが神のものであり、神が把握し、離すことがないものなら、この神とつながっている私は、もはや何も失うことがありません。失うことを心配してくよくよするなど、無縁な心でいられます。
イスラエルへのこのモーセのメッセージは、この民族が選ばれた存在であることに端を発しているため、その先祖にのみ主は愛を示し導いた、というような表現に出くわします。あなたがたを今日あるように選んだ、と。ここも今日、常に新しくあるところ、つまり未来を含んだものを包み込むようにして言い渡しているように感じます。
後半は、弱者を守る神の義が語られています。かつての己れの姿、小さな70人は、あまりの弱者であったが故に、いま出会う弱者のことを己れの如く愛することで、神を愛することになるのだ、というふうに教えてくれると、分かりやすくなります。モーセの命令は、こうしてもちろん今の私たちにも同様に響いてくることになるのです。