ヨセフにどこか身を重ねて

チア・シード

使徒7:9-16   


「「解放奴隷とキレネ人とアレクサンドリア人の会堂」と呼ばれる会堂の人々、またキリキア州とアジア州出身の人々など」(6:9)がステファノと議論で「歯が立たなかった」(6:10)ため、ステファノは妬まれ、彼らにより最高法院にまで引かれて行きました。ステファノは落ち着いていました。大祭司に尋問されて、弁明を始めます。
 
長い弁明ですが、これは初期の教会が信仰箇条を証しする基準となっていたものではないか、と思われます。私たちは、ここしばらく創世記のヨセフの生涯の物語を追いかけてきましたが、ステファノの語ったとされるこの証しの中に、ヨセフの出来事が実にコンパクトにまとめられています。これ以上ないほどの、ヨセフのまとめです。
 
ヨセフの兄弟たちは、イスラエルの族長ですが、ヨセフを妬んでいました。いまステファノが、そのヨセフのように妬まれています。但しステファノは権力者になったわけではありません。むしろステファノは、イエスのように殉教するのです。「しかし、神はヨセフと共におられ」ました。「あらゆる苦難から助け出し」たのです。
 
ステファノにも助けはくるのでしょうか。ヨセフが売り飛ばされたことは、ステファノが引き渡されたことに匹敵します。ヨセフが宰相に任命されたように、ステファノもまた、神の国の中で相応する地位を与えられることでしょう。飢饉がヤコブの運命を変えました。エジプトに食糧があると聞いて、族長となるヨセフの兄たちをそこへ遣わします。
 
初めは冷たくあしらったヨセフでしたが、実の弟ベニヤミンを見て、ついにその身を明かします。ヤコブと一族はエジプトに呼び寄せられ、安らかに過ごし、一生を閉じます。そこから次にモーセという、イスラエルの原点を描く人物が現れるのです。イスラエルを助け、支配し、導いたヨセフに擬えるかのように、ステファノは自らを見たかもしれません。


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