後の記録であるとしても

チア・シード

サムエル下7:8-16   


ダビデが名実ともに王となり、主を慕う余りその神殿を建てようと考えます。ダビデはまず預言者ナタンに提言します。この思いつき自体が悪いものとは思えませんでした。ナタンは一旦肯定しますが、そのナタンに主が臨みます。神殿建築はままならぬ、と。ダビデ自身預言者でもあるはずですが、他に預言者がいて、必要とされていたことが分かります。
 
ナタンは、主からの言葉をダビデに伝えることとなりました。ダビデが思いついたことを却下するために、本人ではない別の預言者が必要だったということでしょうか。ナタンが聞いたのは、ダビデを選んだのは主であって、ずっと共にいるということでした。ダビデを王として、イスラエルの民を安住の地に置いたのです。
 
敵をことごとく退けると言いますが、ダビデの人生を見ると、けっこう回り道をしていることが分かります。でも、末裔を王とし揺るぎない王国を継続させるという約束もします。子孫により神殿が建てられることも踏まえていますが、ダビデに由来する王座の歴史は、その後も確立するのだという言葉が、ナタンを通じてダビデに告げられることになります。
 
これに対するダビデのレスポンスは、これが実際に告げられたときに現れます。この主は、ダビデだけの主ではありません。イスラエルの民をエジプトから導き出し、安住の地を与えました。そこに民を植えたのです。敵は、これからも主が追い払うと言います。初めの頃に不正を働く者が民を苦しめていた、などという表現は何のことなのでしょう。
 
ともかくダビデでなく子孫が神殿を建てて王国が確立することを知らせますが、ダビデの子ソロモンが神殿を建てました。しかしソロモン以降、イスラエルはこの祝福に値しないものとなります。それでもサウルのようには退けないとの約束があり、とこしえに続く王国は、肉によってではなく、霊的な意味でいまにも継承されていることになります。


Takapan
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