主の正しさ
チア・シード
列王記下25:1-7
若いヨヤキン王は、バビロニア帝国にすぐさま連行されました。バビロンの王が、そのおじゼデキヤを王として立てたのは、手足として使うためだったと思われますが、ゼデキヤはそうはなりませんでした。ユダヤにしてみれば、英雄的な反抗に見えたかもしれません。しかし、これによりエルサレムは悲惨な道へと突き進むことになってしまいました。
それは、ゼデキヤ自身にとっても同じでした。バビロニア軍は、兵糧攻めを遂行します。逆に言えばエルサレムの城壁は強固であったのかもしれません。バビロニア全軍という表現は大袈裟ですが、大軍を駐屯させるのも大変なことだったと思われます。ここでの記録に基づけば、出陣から一年半を要して、ようやくエルサレムが陥落しています。
バビロン側の隊長がエルサレムに来て神殿を焼き払うまでに1か月かかっていますから、軍はそれなりの日数をかけてようやくユダヤにまで来たことになります。こうした軍の移動と維持のためには、膨大な費用がかかります。それを賄えるだけの経済力と政治権力とがそこにはあったということになるだろうと思います。
籠城も最後と見たのか、ゼデキヤ王は、城壁が破られると共に逃亡したようです。しかし当然、直ちに敵軍に捕らえられてしまいます。そして両目を抉られるという目に遭いますが、この世で見ることのできた最後の光景というのが、自分の子どもたちの惨殺風景でありました。なんとも酷い仕打ちです。メンタリティが破壊されるでしょう。
ゼデキヤ自身は殺されずその苦しみを背負って生きていかねばならなくなります。そのままバビロンに曳かれて行き、青銅の足枷につながれて、さらに何十年か身も心も廃人となって生きていたようです。正に生きるも地獄ということでしょうか。このゼデキヤという名には、「主は正義」というような意味合いがある、と聞きました。
彼自身は結局不遇な後半生を送ることとなりますが、主に背いた王家の歴史がこのような形で幕を閉じることとなったことと、神殿が焼かれ消え失せるということとが、主の正しさを示すものであった、という歴史解釈がここにあるのかもしれません。なんとも皮肉なものです。イエスはゼデキヤと別系統の子孫として現われることとなりました。