王家への最後通告

チア・シード

列王記上21:20-29   


神に見限られたエリヤは、神の告げた通りにエリシャを従えました。外套を投げ掛けはしましたが、主が言ったように油を注いだ様子は見られません。その後、アラムの王ベン・ハダドがイスラエルを攻めましたが、これを破り、協定を結んでベン・ハダドを解放します。このことで、主の預言者がアハブ王を責め、王は機嫌を悪くしました。
 
その後ナボトのぶどう畑をアハブ王が偽計で奪い、ナボトを抹殺しました。エリヤはこの事件を見抜き、アハブの運命もそのようにされることを突きつけました。アハブに会いに行ったのです。エリヤは立ち直りました。アハブに最後通告を言い渡す場面を、いまから読みます。「あなたは主の目に悪とされることに身を委ねた」というのが罪状でした。
 
王家は滅びます。「イスラエルの人々に罪を犯させた」こともその理由の一つです。エリヤはアハブのしたこと、その背景の事情も全部見抜いていました。「唆したのは妻のイゼベルである」と、列王記の記者は説明します。さらに、犬に食われるというイゼベルの無残な最期も断言しました。もちろん、いずれそれは本当に起こります。
 
このイゼベルが、イスラエルに偶像をもたらしたのであり、それを認めていたのがアハブなのだ。そんなところでしょうか。創世記のエバとアダムの関係を思い起こします。蛇に引っかかったのはエバでしたが、アダムに極めて重い責任が問われました。それにしても男は女に弱いのでしょうか。かといって、エバが悪い、とするのも考えものです。
 
だとしても、「アハブほど、主の目に悪とされることに身を委ねた者はいなかった」というのは余りに酷な評価です。宗教的な観点からも、法的な理由からも、仕方がないことであるかもしれませんが。ところが、ここでアハブは、悔い改めの態度を見せます。「衣を引き裂き、粗布を身にまとって断食した」のです。「打ちひしがれて」いたのです。
 
これを主は「へりくだった」と見てくれました。そこで、アハブの生涯の中に災いを下さず、その子アハズヤに災いを与えることを、エリヤを通じて明らかにしました。生活の中での事故で、アハズヤは寝たきりとなり、二年間の短期政権の後、別の家が北イスラエルを治めるようになります。親の因果が子に報いる考えがまだ通用していたようです。


Takapan
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