エリヤからエリシャへと続く線
チア・シード
列王記上19:9-18
バアルとアシェラの預言者たちを壊滅させたことで、エリヤはイゼベルに追われ、ベエル・シェバに逃れました。英雄の体たらくたるや、惨めなものです。そこは、かつてアブラハムがアビメレクと契約を果たした地です。ハガルとイシュマエルを追放し、イサクという後継者を確定した時のことでした。
その直後、アブラハムはイサクを献げよというあの試みに遭います。エリヤも、ここからイスラエルの新しい歴史を刻むこととなります。まるで、洗礼者ヨハネがイエスの登場を先導するかのように、エリヤはエリシャを呼んでくることになるのでしょうか。もう沢山だ、命を奪ってください、と望むエリヤを主は励まし、食べ物を与え、歩かせます。
エリヤは神の山ホレブに着きます。モーセの召命を思い起こさせます。燃える柴の中で主がモーセと出会った出来事の地です。そこでエリヤは主に問いかけられます。「何をしているのか」の問いは根本的です。洞穴から出て来たエリヤの弁解などまるで聞かないかのように、主はただ呼びかけます。主の前に立て。そんなことができるのでしょうか。
エリヤは主を探します。見たものは、風の暴れ具合と地震と火。主はいないではないか、と心が折れますが、かすかにささやく声がありました。それこそが主でした。主は激しいおでましをするのではなく、心にかすかにささやきかけるという形で、人に臨むのです。この声を聞いた時に、エリヤは主の前に立ったことになりました。
エリヤは、先ほどと同じ弁解を繰り返すことしかできません。主はエリヤを慰めはしません。最後の命令を下すだけです。逃げてきたその道を引き返せ。アラムの王、イスラエルの王、そしてエリシャへと、立て続けに油を注ぎ、主の器として立てよ、エリヤが殺した預言者たちの仲間を、彼らは始末することになるであろう、と知らせます。
偶像神を拝む者がいなくなると、主の民がそこには残ることになります。王たちへの油注ぎはエリヤ自身がするのでなく、エリシャに託されるのですが、ここでイスラエルの歴史は大きく舵を切って動き出すことなります。この転換は、主のささやく声によって実現されたのです。イエスを彷彿とさせるエリシャという存在にも私たちは注目しましょう。