たかぱん

 女湯に入った男のはなし

びっくり聖書解釈

 女装して女湯に入り、つかまった男のニュースが流れました。
 これまで十数度もやってきましたが、ついに女性が気づいて騒ぎ出したので取り押さえられたというのです。手足の毛を剃り、カツラをかぶり、化粧までしていたので、タオルで隠していれば、十数度もばれずに済んだそうです。
 ニュースやワイドショーは、呆れたという感じで報じていました。
 この男は33歳で、動機は「女の裸を間近で見たかった」からだといいます。どこか哀れです。そんなことのために、こんなにバカなことをして、逮捕歴までつくのでしょうか。建造物侵入と軽犯罪法違反だそうです。
 ……と、非難するのは簡単なのですが、私は真っ先にこう思いました。この人は、悪を避けたとみることもできる、と。女性の裸を見るためだったら、実は方法は他にもあるわけです。映像でなく実物であっても、ストリップ劇場のような場所、あるいは風俗営業の店など、この人が女性用の服やカツラを用意したくらいのお金があれば、方法はあったわけです。少なくとも、そういう場所を利用しなかったからこそ、間近に見たいために女湯を選んだ、とここでは理解しておきます。
 もちろん、女湯に入ってよい理由はありません。この人は、ある種の悪を避けようとして、却って別の悪に陥ってしまったのです。その点では、愚かさは否めません。けれども、それではこの男をばかだと笑い、それでいて自分は風俗店に通うという男は、はたしてこの女装した者を笑うことのできる立場であるのかどうか、考え直す必要があります。風俗店を避けようとして、こんなことへ落ち込んでしまった者は、ある意味で純朴だったのです。少なくとも、悪に鈍感になってしまった人間よりは。
 ただ、その行為を奨励するつもりは私にはないので、どうぞ誤解のないように……。



欲望がかなえられれば魂は快い。愚か者は悪を避けることをいとう。
(箴言13:19,新共同訳聖書-日本聖書協会)



Takapan
びっくり聖書解釈にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります