幸福なきゆえの希望
びっくり聖書解釈
「それから二人は幸せに暮らしました」
幸せを勝ち取った人は、その後も幸せで居続けることができるでしょうか。むしろ、逆に幸せの欠如――そう、欠点や汚点ばかりがやたら目についてしまうかもしれません。美しい服についた一点のシミが、気になって仕方がないみたいに。
チームの優勝はうれしいものですし、なによりもそれを目標にして戦ってきたものではありますが、頂点を極めてしまうと、後は下るより他にないものですから、それからが辛くなります。横綱では勝って当たり前、その心理的な圧力は計り知れないものがあるのでしょう。
もしも希望というものが尊いもので、希望があるということが素晴らしいことであるのなら、それはまだ究極まで達していないときの状態であるといえるでしょう。希望を忘れないということは、幸福の絶頂にはないということなのでしょう。
空しいですか? でもそれでよいと思います。
究極の幸福は、御国においてだと楽しみにとっておきましょう。
乏しい人は永遠に忘れられることなく
貧しい人の希望は決して失われない。
(詩篇9:19/新共同訳-日本聖書協会)
た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド