たかぱん

  お金持ちもどうぞ

びっくり聖書解釈

 キリスト教はしばしば、弱者の味方と見なされます。貧しい人々を助けよう、恵まれない子どもたちを救おう、などと。それは、信じた人もまた、かつては何か弱い立場にあって、苦しんでいる人のことを思いやることができるからだ、と説明することもできそうです。
 では、裕福な人は信じないのでしょうか。あるいは、裕福な人は信じてはいけないのでしょうか。金持ちが悪者にされているたとえも、聖書にはたくさんあります。単純に、すべての財産を施せという通りにすることもできないでしょうし、やることが賢いかどうかは疑問です。
 そういう具合に、多くの富を抱えた人が信じたときに、逆に引け目のようなものを感じるということがあるかもしれませんが、それはどう考えましょうか。
 同じ教会に、お金に困っている人がいたからといって、金持ちの信徒が気軽にお金を与えてそれで済むというものでもないでしょう。私は個人的に、教会内では互いに助け合って、お金の必要な人に援助することは悪くないと思っていますが、現実にそれを行うのは、大変難しい問題を抱えていますので、実行するわけにはいかないかもしれません。
 実際の教会組織にシステムがあったり、人間関係があったりする以上、すんなりとはいかないものです。
 ともあれ、リッチな生活をするにしても、神の僕として適したやり方がある、とパウロが断言しているのですから、どんな境遇でも、思い煩わず、対処する秘訣を授かっていることを信じて、祈っていきましょう。



貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。
(フィリピの信徒への手紙4:12/新共同訳-日本聖書協会)

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