たかぱん

 豚に真珠

びっくり聖書解釈

 諺のテスト。「猫に小判」と同じ意味を表す諺は? 「豚に真珠」
 それでいいのですが、「目から鱗」と同様、これも聖書からの出典。故事成語という分類はできないのかなぁ、とも思います。
 ところで、豚は不浄と見なされた動物。豚肉を決して食べない中近東の文化からも容易に理解できます。そんな奴にくれてやっても全く訳が分からんだろうとされた、価値あるものが、真珠。
 どうして、真珠なんでしょうね。
 そもそも日本でも、養殖真珠が可能になるまで、真珠は顧みられることがなかったとも聞きます。かつては偶然に天然産の真珠を探し当てるしかなかったとすれば、その値打ちは、絶大なものとなったに違いありません。
 聖書では、真珠を飾るような女性の煌びやかさを戒める表現もありますが、かけがえのない貴い宝石の一つとして評価されていることは、疑いがありません。その真珠よりも知恵の方がまさるのだ、という書き方をしているということは、通常誰が見ても真珠には文句なしの価値があるということでしょうか。今で言えば、ダイヤモンドという言葉を聞くときの、私たちの感覚と近いのではないかと想像されます。
 誰が見ても欲しがるような価値あるもの、という意味でなら、それは知恵に劣るもの。狭い門と似ています。自分を罪人と見なす知恵ある者は、むしろ誰もが欲しがる真珠になど興味を示さないものだとすれば、「豚に真珠」から、私たちはまた違った教訓を得ることもできるでしょう。
 だから、私たちは豚にならなってもよいかもしれませんが、犬になってはなりません。尻尾をふりふり人の機嫌ばかりとるような犬には。



神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
(マタイによる福音書7:6/新共同訳-日本聖書協会)

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