不完全なのが完全?
びっくり聖書解釈
聖書に一度ならず二度も三度も命じられることの中には、そんなのとうてい不可能だよ、と言いたくなるものがあります。その代表的なものがこれ。「あなたがたも完全な者となりなさい。」
無理ですよ。人間なんだから。だいたい、人間が神になるはずがないということで、とことん人間の惨めさ、罪深さを心に教え刻もうとしたのが、神さま、あなたではありませんか。
すると、『聖書のことば』(前島誠・春秋社・2001.11発行・\1,800)という本が、こんなことを言っていました。
「神はもともと完全な存在ですから、完全であることが
神にとっての
完全なのです。一方われわれは不完全な存在です。ですから、不完全な自分をありのままに受け止めること、これが
人間にとっての
完全へ至る道だというのです。」(p164)
これにはびっくりしました。まるで、自分がうそつきであると認めた人は正直である、と言っているみたいです。
待てよ……それもそうか。うそをつくのは自分だけじゃないぞ、おれだけが悪いんじゃないぞ、だからおれはうそをついたって仕方がないんだ、なあんてほざいている人間と比べれば、自分はとんでもないうそつきです、すみません、としおれている人は、正直な人間だと言ってよいかもしれません。
なんか怪しいけど、そんなふうに自分が不完全なものだ、と深く深く認めるのは、やっぱり難しいような気がしますね。そして、ほかの人もすべて不完全なものに過ぎないということをほんとうに認めたら、人の失敗だって、許せないはずはないですね。
念のため。「いやあ、私はつまらない人間です」なんて口で言うだけのは、これとはわけが違うんですよ。だって、「ほんとにあんたはつまらないね」と返されたら、怒るに決まってますから。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。
(マタイによる福音書5:48/新共同訳-日本聖書協会)
た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド