たかぱん

  イエスと向き合うこと

びっくり聖書解釈

 十字架で息絶えたイエスを見て、神の子だった、という言葉を漏らしたのは、ローマの百人隊長でした。
 千人隊長ほどの権威もなく、中間管理職というところでしょうが、だからこそ、上下に挟まれる人間関係の辛さや、職務の厳しさなどを、味わい尽くした人であったのかもしれません。
 ここで注目したいのは、「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた」というところです。
 この人は、イエスの方を向いていました。別の訳では、「イエスの正面にいた」とも書かれています。
 イエスと向き合うこと。これはもうすでに、神の前に出ているあり方です。この百人隊長は、あの台詞を口にする前に、すでに、神の懐に抱かれていたのです。
 口先で神を敬う姿を周囲に見せておきながら、イエスと向き合ってなどいない者が、いかに多いか、自分を含めて、恥ずかしくなってきます。



百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
(マルコによる福音書15:39/新共同訳-日本聖書協会)

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