たかぱん

 99:1

びっくり聖書解釈

「みんな持っているんだ」と、子どもがオモチャをねだるようになると、少し知恵がついてきたな、と思います。そんな理屈を、と思いながらも、親は財布の紐を……緩めます?
 子どもばかりではなく、この言い訳は、おとなもよく使います。
「ここは駐車禁止だ」――「でもみんな留めていますよ。なんで私だけ……?」
「電車では降りる人が先だ」――「でもみんな先に入りますからね。座れなくなりますよ」
 便利な言葉です。「みんな」とは。
 もちろん、その「みんな」とは「全員」の意味ではなく、自分以外のほんの数人、ひどいときにはたった一人である場合さえあります。
 99人が善いことをしていても、1人が悪いことをしていれば、自分が悪いことをしてもかまわないという、十分な理由にしてしまうのです。
 イエスの有名な「見失った羊」のたとえでは、あたかもこれに近い図式のように思えるかもしれません。けれども、イエスは、その99人は、実は自分が悪い者であることに気づかない者、気づいても認めようとしない者、という意味で戒めています。つまり「悔い改める必要のない」というのは、「悔い改める必要を感じない」という意味です。
 その意味では、「自分はべつに悪いことなんかしていない」と思いこんでいる99人は、まさに「みんなそうだから」の意識で互いに悪いことをして安心しているわけです。
 神は、その99人ではなく、1人のほうを探しておられます。  



言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。
(ルカによる福音書15:7/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
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