たかぱん

  地面に何を書いたのか

びっくり聖書解釈

 姦淫の女を、ユダヤ当局のメンバーが連れてきました。それは、イエスを矛盾する状況に追いつめるためでした。
 それに対してイエスのとった態度は、意外なものでした。かがみ込み、指で地面に何か書き始められたというのですから。イエスは、一切の選択を回避するかのように、判断中止の態度をとったのです。
 この場面は、多くの人のイマジネーションを刺激し、イエスは何を書いていたのか、という点について、さまざまな想像を呼んでいます。しかし、神の思いを私たちがすべて知ることはできません。一方的に決めつけることは控えましょう。
 ただ、「書く」という行為が人間にとって何を意味するのかについては、考えを及ばせてもよいかもしれません。それは、残す作業です。口で語る言葉は風のように消えますが、書いたものは残ります。また、文字というものは曖昧なことなく、言葉を明確に分節します。そして、何よりも、書かれたものは、ユダヤにとって、律法を意味します。イエスは、書かれたものを踏み消したなどとは記されていませんが、ユダヤ人たちがしつこく問い続ける間、イエスは地面に書き続けていたのであり、その後イエスは身を起こして、口で決定的なことを述べたのです。書かれた律法を人間が解釈することではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉が、生きて働くことへの連想を、私はするものですが、如何でしょうか。
 イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言い、また、身をかがめて地面に書き続けられました。また、書くという行為です。しかし今度は、さきほどの、ユダヤ人たちがしつこく言う中で書いていたのとは、異なるのではないでしょうか。
 新たに神の言葉が発されました。それが今や、ユダヤ人の中にある良心を試しています。人間の心を突き刺し、探らせています。それは、さきほどまでの、人間が勝手に解釈している律法とは訳が違います。いまや人を生かす、神の新しい言葉が、いうなれば愛の律法が、これからの時代のために書き留められようとしているのです。
 あるいは、旧約の時代の言葉が、新約の時代の言葉として、新たな命を吹き込まれて記されている様が、ここに象徴されていると見ることができるかもしれません。



そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
(ヨハネによる福音書8:8/新共同訳-日本聖書協会)

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