たかぱん

 我が身の上に

びっくり聖書解釈

 エルサレムは滅ぶ。神を拝せず自分たちの力に頼る権力者に指導されているイスラエルは、自らの滅びを招く。国の行く先に警告を鳴らすエレミヤは、この演説を、当のエルサレム神殿の庭で行いました。
 当然、その言動はにらまれます。権力者は、その口を封じることも、きっと簡単にできるでしょう。しかし、名君ヨシヤの子ヨアキムの時代が始まったこのとき、若いエレミヤのこの警告を、なんとイスラエル高官たちは、受け入れたのです。
 かつてヒゼキヤの時代にも、預言者ミカの言葉があり、国に警告をなした。先人も同じことを言っていたのだ。この知恵には耳を傾けるべきである、と。そしてそのときミカに刃を向けなかったところ、直ちに罰が下されずに済んだことを思い出したのです。
 国難を乗り越えたとき、権力者は、己の政治の正しさを称える傾向にあります。政敵を追い払うために、政権が正当であることを宣伝したいのです。しかし、このときの高官は、知恵者の言葉に神を畏れました。かつての危機を乗り越えたのは、預言者の言葉の力があった、と。
 我が身の上にふりかかる大きな力を思い浮かべ、知恵の言葉を受け入れることは、迷妄ではありません。目先の利益や己の立場の保持のために、取り返しのつかない事態を招くような政治的判断をするよりは、ましだということを、この記事は教えています。過去の戦争の歴史ばかりを取り上げて、だから戦争は正しい、と主張する人や団体がありますが、そうでないことを告げる歴史もまたあることを、忘れてはいけません。
 災いが我が身の上に降りかかろうとしていることに、ほんの少し想像の翼を広げて気づいてみたいものです。



主を畏れ、その恵みを祈り求めたので、主は彼らに告げた災いを思い直されたではないか。我々は自分の上に大きな災いをもたらそうとしている。
(エレミヤ書26:19,新共同訳聖書-日本聖書協会)



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