たかぱん

 神と「差し」の勝負

びっくり聖書解釈

 ヨブは、サタンと神との議論の材料として、一つの実験台にされました。なぜ正しい者が苦難に遭うのか。古来、そのテーマは人生の一つの真実を表すものとして、文学や宗教、さまざまな現場で検討されてきました。
 ヨブは、苦しみの中でも、神の前を去ることはありませんでした。「神よ、なぜ」と問うのです。今もなお、同様に問う人が絶えません。そんな人に対して、「神に逆らうことはしてはいけない」と諭すクリスチャンや指導者もいます。ですが、神に文句を言ってもよいのではないでしょうか。「神よ、なぜ」と問うことは、不信仰でも、不謹慎でもないと思うのです。
 たぶん、人目しか気にしないなら、こんなことはしないでしょう。神を信じているから、そして神に絶望していないから、神に問うているのに違いないと思うのです。真っ向から神に挑み、向かい合おうとするからこそ、この叫びがある、と考えるわけです。
 ヨブのように、己の魂に問い、天に叫ぶ。この対話は、神と「差し」の勝負なのです。



このわたしをこそ
神は救ってくださるべきではないか。
神を無視する者なら
御前に出るはずはないではないか。
(ヨブ記13:16/新共同訳-日本聖書協会)

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