たかぱん

 聖書は危険なのか

びっくり聖書解釈

 聖書は人に希望を与え、善行を促してきました。しかしその一方で、悲しいことですが、争いを正当化する根拠としても利用されたことも事実です。ちょうど、人々の生活を便利にしてきた科学が、他方で兵器や害毒を生み出したかのように。
 手荒に批判する人は、だから聖書は危険なのだと叫びます。いや、聖書自体が悪いのではなくて、利用する人間の側に問題がある、と弁護する人もいます。
 聖書の一節だけを取り出して、自分を正当化するために用いることは、古今東西変わらず行われています。基本的に聖書とは無縁のはずの立場にいる、やたら本を売っている宗教的団体にしても、犯罪行為に走った新興宗教集団にしても、そしてまた、表向き聖書で人を誘いながら似ても似つかぬ思想に導く、金集めの団体にしても、都合のよい部分で、聖書の権威を自分の宣伝に使っているところがあります。
 それは、聖書を信じて読む立場の人も、気をつけなければならないことです。聖書を読んで、自分が偉くなったわけではありません。自分が正義の味方になったと錯覚してはいけません。神が正義なのであり、神が偉いのです。
 皆さんへクイズです。次の聖書の言葉はどう理解したらよいでしょうか。
 おそらく答えは、この句に続く部分にあるかと思います。なおその場合、「偶像」というものの中には、自分自身のこと・自分が偉いと見なす心をも含めておくとよろしいかと思います。



わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、
この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
(ヨハネの手紙一5:19)

Takapan
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