◆地球環境に優しい 2006年8月28日の西日本新聞の投書欄におさまっているコラム「おやまあ日本語」が目にとまった。 テーマは「優しい」。 このところ、テレビの宣伝・広告の文句で「地球に優しい…」「環境に優しい…」という言葉を、よく耳にするようになった。 ところで「優しい」の本来の意味の「身もやせるように感じる」から「情け深い。情がこまやか」「こまやかな心遣いを他に示す」ことなどにも意味を広げた。そして現代では、人間に対してだけ使うようになったという。 例えば、老人や幼児といった「弱者」に対して「優しく」するというのが正しい用法らしい。だから、地球や自然、環境など人間を超越したものには「優しい」は使わないのが普通。天・神・仏など抽象的なものに対しても同様だ。 「自然に優しい…(商品名)」などという文言を聞くと、自然の中に生かされているくせに人間どもの思い上がり。自然に申し訳ない、と思う。せめて「自然を傷つけない心遣いを」と言えぬか。 引用し尽くしたのも、この内容を多くの人に考えて戴きたいからである。私が、「地球に優しい」と宣伝している商品を見ると、蹴飛ばしたくなる気持ちを、同じような気持ちで見ていた人がいたのだということを、うれしく思う。 どんな言葉を使うか、ということの内に、高ぶりが見透かされてしまう。言葉を自分の中から発するというのは、なんと厳しいものであろうか。そんなに難しいならば、いっそ自分からは何も言わず、お上に従っておればいい、というふうに動いていく若い世代。そう、子どもたちにしても、言葉の貧弱な層がいかにたくさんいることか。 私もまた、間違った言葉遣いをたくさんしていることだろうと思う。言葉は、その使い方に、人間が出てしまう。気をつけなければ……。 |