◆若者たちの右傾化現象 首相の靖国参拝に賛成したのは、たしかに一定年齢以上の大人たちが多かったのであるが、20代も割合的にかなり大きく賛成の声を示した点に、驚いた人がいるかもしれない。 一方で、若い世代に、保守的あるいは右派の考えが強くなっているともいわれている。 ネットでの経験からも、それは私も強く感じていた。 アジアの近隣国のことを、一方的にけなし見下す言動が、若いと思われる人間から、激しく飛び交っているのだ。 それは、もはや問答無用と言うに等しく、ひたすら他国は悪なのであって、理解の足りない低次元の人間なのである。 およそ、半世紀以上前の時期においても、建前的に言われていたかもしれないが、はたして人間としてそれほど優劣を伴いつつ見下していたかどうか怪しいと思われるほどに、最近の若者の中には、隣国をいわば理由なく差別する発言が多々あるのである。 直接こうした現象を示唆していたわけではないが、『他人を見下す若者たち』という本の指摘と符合する点が気になる。彼らは、自分の非は極小であり、他人の非は極大であるとしか見ないのだ。 それでいて、実は自分の中に確固たる支えになるものがないことも知っている。だから、「自分を信じる」という言葉を、口裏を合わせたかのように繰り返す。自分が信じられるような存在ではないことは、多分に察しているにも拘わらず。 このゆえに、結局は、身近なグループが頼る、伝統とか地盤とかいうものを頼りにせざるをえなくなるのである。ケータイで、ひたすら仲間内とつながっていなければ落ち着かないのでありながら、実際に今自分がいる現場で関係がある周囲の人々は徹底的にシカトするのと、類比的である。 このようにして、日本国内で生活している以上、右翼的なほうに傾いていくという仮説が成り立つ。 彼らに、人を尊重しよう、などと言っても心に響くことがない。すでに見下す相手は、その「人」の範疇に入っていないのであるから。そしてこのことが、ひとつ倒れれば次々と倒れていくドミノ倒しのように、一度に国の態度が傾くことの危惧をもつべきであることの、重要な根拠となるのである。 |