◆体裁・体面・見栄

 体裁・体面・見栄――中学受験を目指す優秀な小学六年生に、通じにくい言葉の群れである。国語の文章の中に、あるいは漢字の書き取りあるいは読みの問題に出てくるのであるが、意味が分からない。説明しても、ピンとこない子が多い。
 大人ならば、もちろん常識である。だが、小学生の生活世界に、この言葉が普通、ないようなのである。
 私は、その時期には、これらの言葉を知っていたように思う。自分の中に、そうしたものがあることを自覚していた。人によく見られたい、人から見た自分はどうなのか、気にするのだ。
 幸い、それを気にしすぎることもなく、育っていった。むしろ、今でもそうだが、傍若無人ぶりを恣にして、悪しきマイペースを貫いているのかもしれない。それでも、人の目を意識していないというと、やはり嘘であろう。
 ところが、このごろの街角風景には、自分を人が見ているという意識が皆無に違いないと確信できるような振る舞いをする人々を、頻繁に見かける。周りにいるものを「人」だと思っていないわけではない、としても、パブリックな場では通常できないと思われることを、何の抵抗もなくやっていると評することが可能だ。
 自分のことは神にすべて知られている、という詩編があるが、それどころの問題ではない。
 いや、待てよ。それが多分に私自身のことだというのこそ、最もありそうな話ではないか。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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