◆教育界の非情のマニュアル

 2005年9月、北海道滝川市の小学校の教室で、6年生の女の子が首を吊った。4ヶ月後に死亡したが、これを自殺と呼ぶことには誰も反対できない。
 だが、これを「いじめ」と呼ぶことに断じて反対する人々がいる。
 滝川市教育委員会である。
 遺書もある。親として、一市民として、涙なしでは読めない。しかし、教育委員会の公式見解は、「(遺書にある)無視が即、陰湿ないじめに結びつくとは思わない。遺書の中身自体は学級でよくあること」だという。「原因は現時点で特定できない」との一点張りである。
 小学校もまた、小さなトラブルはあったが、修学旅行の部屋割りや席替えの問題は「担任の指導で解決された」と返答している。
 遺族の男性は「『いじめを認めない』とのマニュアルがあるのではないか」と不満を述べた(毎日新聞)。
 私の推測では、ある。
 決定的な方針として、それは、ある。
 認めたら最後なのだ。あらゆる言葉に対して慎重にし、学校にはミスというものがない、もし何らかのミスがあっても、責任というものはない、ということにしなければならない至上命令があるのである。
 だから、平常の感覚からしてみれば完全に嘘であることも、平気で発表する。
 私は、この官僚マニュアルをきちんと公開して、そのマニュアルを検証する必要があると考えている。そうすれば、いくらかでも教育はよくなる。
 もしマニュアルがないのにこんなことを言っているのだとすれば、もうこの教育委員会は、いや、私の知っている地元の方もそうなのだが、救いようがないほど腐っているのである。
 もっとも、あってもそうだ、という方がいらしたら、私はそれを否定できない。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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