◆入浴剤使用に垣間見たい倫理 白骨温泉という、知らずに目にするとぎょっとするような名前の温泉で、草津温泉の入浴剤を使っていたことが、世間の抗議を浴びた。 ひどいという電話が集まったのは、「世間」というものの匿名の圧力であるには違いないのだが、私は少し別のものもあってほしいと願いながら見つめていた。 使われたほうの、群馬県草津町の草津温泉浴剤製造所には、むしろそれほどすばらしいものなら、と問い合わせが殺到したという。商品名は「温泉ハップ」というそうだが、半世紀以上前から売られていたらしい。個人客からの注文もどんどん来る中で、当の製造所は、出荷を控えているらしいのだ。「相手が困っているのにうちだけもうかればいい、というわけにはいかない」と言って、予約は受け付けているものの、出荷はしていないというのである。 見上げた倫理である。いつ出荷するつもりなのか、それはこの問題が落ち着くときを待たなければならないが、それまで止めておくのだそうだ。 こういう気質が尊く思えるほど、世の中の倫理は行く先を見失っていると言えばそれまでだが、悪くないニュースであった。 そして、たかが(この言葉一つで不買運動まで出ている新聞もあるから注意して使うべきだが、ここでも軽率を免れないことを承知でなお使う)温泉に色をつけていたというだけで、「それはけしからん」と抗議をする世間の人々もまた、倫理的に正しいものを求めている心があるからこそなのであって、その点は、私はいくらか信じたいものがある、というわけである。 たしかに、「それくらいいいじゃないか」では済ませたくない思いが、何らかの抗議となって動くことがある。偽りの商品表示に対しても、消費者の批判は厳しかった。業者は「これくらい」と軽く見ていたことが、発覚すると会社の解散にまで及ぶこととなった例がいくつもある。このこと自体は、まだ日本人の魂が腐っているわけではないことの証拠として認めたいのである。 ならば、およそ権力に対しても、そうありたい。政治力をもつ相手にだけは、「これくらいいいじゃないか」で投票するのが通例であるし、「なんとか目をつぶってね」と名前の連呼と笑顔に握手だけで、数年に一度許しを乞う姿勢に、「NO」を突きつけるようでありたい。 |