◆失敗談のないケース

 JRの駅からホームに降りだ若い女性が、列車にはねられて即死している。線路に、飲み物のボトルを落としたので拾おうとしたらしい。
 命を懸けて飲むほどのものだったようには、思えない。当人は、ほんの軽い気持ちで、拾い出してまた飲めると考えていたのだろう。自分がそれで命を落としたことに、まだ気づいていないかもしれない。ひょいと拾い上げ、ホームに戻り、どこか目的地に出かけていたはずなのだろう。
 たしかに、危険は伴うだろう。だが、クリアできるはず。これまでだって、ずっと自分は、クリアしてきた。ヒヤッとしたこともあったが、こうしてちゃんと乗り越えてきた。線路のボトルを拾うことにしても、それをクリアして、危なかったなぁなどと笑っている自分がそこにいる……。
 私たちは、そのくらいのことを、クリアできると思っている。自分だってクリアしてきたのだし、第一、失敗談を聞かない。「いやぁ危なかったんだけどね」という話は沢山聞くが、「いやぁあれで死んじゃったよ」という話は聞かない。そう、失敗した人は、もはや証言することさえできなくなっているのだ。
 失敗談が聞かれないというのは、失敗談がないからではなくて、失敗を一度したらそれで死んでいるからである。
 子どもたちにも、シートベルトを勧める。これまで締めたことがないよ、と明るい顔で子どもたちが言うことがある。これも、失敗談を聞いたことがないからかもしれない。だが、シートベルトをしていなかったからボクは死んでしまった、という失敗談は、原理的に聞かれないからである。
 自分を正当化するために、「そんな話は聞いたことがない」というふうに叫ぶ人がいる。しかし、そんな話は聞かれるはずがない、という事態もあるのである。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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