◆座席の上に靴という現象から

 電車の向かいの席に足を上げる。靴毎。
 後の人のことも、そこに誰かがくることも、何も想定していない。自分のしたいようにしかしない。
 トイレの水を流すレバーも、強く押し下げる形式のものは、たぶん足でしかしないのだろう。
 座席で靴だからいけないのか。靴を脱いで、臭うような靴下をでんと載せている人は、靴よりはいくらか分別がありそうな顔をしていながら、やはりなんの思いやりもないとしか見えない。
 足を組んで、臨席の人に靴の裏を見せることを憚らないような人を不愉快に思うことすら、現代では許されないことのようである(この文、複雑で悪文だ)。
 障害者用の駐車スペースも、空いていれば平気でとめる。もちろん、障害者でもお年寄りでも小さな子どもを連れたという立場でもない。
 なんの「気づき」もないままにやっているのだろうと思ったら、いつかテレビで、尋ねられれば何か言い返す様子が映されていた。ということは、弁解だけは考えてやっている者もいるらしいと知る。
 電車のドアにもたれて内側に向かって立つのはマナー違反である。だが、そんなことをごちゃごちゃ言うより先に、人の頭や背中の横で、ケータイを扱って何とも思わない無神経があることを思うと、なんだか「ひとの立場に立つ」「ひとの気持ちを考える」という言葉がもう瀕死の状態を超えてしまったことに、気づいたほうが、気持ちが楽になるかもしれない、とさえ思う。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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