◆香田君をさらに痛めつけるコラム
【修正版】 揶揄という言葉がある。これの上手い人と下手な人がある。私などは、多分後者に属するのだろう。 このタイトルのもとに、私は明らかに揶揄する表現で、産経抄を批判した。香田証生くんばかりでなく、この際関係のないその家族をも、罵るかのように公言した、大新聞のコラムである。 一個人として、大新聞と対等に議論できるはずもなく、私はそれを「悪意」とも評した。国家主義ばかりを尊び、対立する考えを常日頃から揶揄し、糾弾し、言論を封じようとする意図をもって長年書き連ねられているコラムだからである。 たまたまその当日のコラムだけが気に障ったわけではない。その背景に潜むものを、明らかにしなければならないとの思いから、ふだんより強い口調で批判した。 案の定、とも言うべきか、私の揶揄をさえまともに受け止めて、今度は私に悪口雑言をぶつけてきた人がいた。その人には、その人なりの背景があるので、私はその人を非難するつもりはない。つまりは、私の表現が下手なわけであった。 ということは、誤解を与え続けかねないというわけであるから、原文は削除することにした。 香田証生くんのことは、死して2週間経つと、もう噂すら流れなくなってきているようだが、危険性への配慮が足りずに死を招いたという点では、おそらく反論する人はないだろう。その上で、どうしてイラクに入ったのだろうかという疑問をもとに、人となりを探る報告が先般まで行われていた。 たしかに、それをあまり美化してはならないだろう。だがまた、この春に人質となって帰還した若者たちに対してもそうだが、国の政策に適合しない善意をいじめるかのようなことが、正当であるとは思えないのだ。そのいじめを直接行うのは、無邪気な国民たちである。私たちである。自分がいじめているという意識を、ふつう人はもたない。だからいじめはなくならない。 そしてこの場合、そのいじめを煽り、あるいは扇動する発言があるゆえに、私は過激に、また皮肉も交えて記した。ただ、それは失敗であった。 これは、私自身についての反省をこめての言である。 |