◆ルールはルール、と言ってもよい フィギュアスケートの浅田真央選手がトリノのオリンピック代表に選ばれる資格がないということで、騒がれている。年齢制限のため、数十日だけ足りなかった彼女が、オリンピックには出られないことになっている、というのだ。とくに、今回のGPファイナル女子で優勝したことで、"日本中が"、「なぜ?」の声を挙げている。 いろいろな声があるだろうが、気になるのが、「それはルールだ」という単純な意見が、日本の中で言いにくくなっていないだろうか、という点である。マスコミが、よってたかって、そんなルールは認めない、出させてくれ、という声をのしあげているからだ。 冷静に考えれば、単純である。これは、ルールなのである。 Yahoo!投票では、4人に1人が、ルールに従うほうを選んでいる。だが、マスコミは、国民全体が特例を認めろと叫んでいるかのような空気を作っているように見える。 「次のバンクーバー五輪に出られたらいい」とあっさり語るように、当の本人が、どうしても今回出たいと主張しているわけではない点が、もう一つのポイントである。つまり、これはいわば外野の意見なのである。 天皇自身がどう思っているかとは関係なしに天皇制が「これしかない」みたいに議論されるのと、どこか似た風を感じる。こうでいてくれというイメージが、もうそれしかないという一色に染めていくし、染めている大勢は、自分には責任がないようにしか考えていない。 マンションやホテルの建築データ偽造も、自分に責任がないと思い込んでいるし、こうした図式は、官公庁や教育行政もしみつきすぎていて、その池に飛び込んだ者は誰も問題にすらしないようになっている。 不謹慎な発言に聞こえるかもしれないが、宇治の塾での殺人事件に対して、京進の対応は、さしあたり責任を背負う形で迅速に動いており、無責任だという非難を浴びるような傾向は見せていない。いや、それは当たり前だと言われればそれは本当だが、その当たり前のことができていないことが多い方が空しいのである。 本筋から外れてしまった。 真央ちゃんフィーバーもどこかでおさまるだろうとは思うから、あまり大袈裟に捉えたくないが、個人的には、誰かがコメントしていたように、「彼女がオリンピックに出られないことで、不幸なのは、本人ではなくて、チャンピオンと競った上で金メダルを目指すことのできない他の出場選手かもしれない」というあたりが、私の思いに近いところである。 ついでに、小泉首相が「不思議だよな」と出場できないルールについて発言していることに、私たちは注目しておこう。ルールがおかしいと思ったら破ってもいい、というのが、この総理大臣のモットーかもしれないからである。 |