◆毎日新聞の自省に誠実さをみている

 毎日新聞の姿勢が好きだ。
 ライブドアを巡る一連の報道の中で、毎日新聞が、報道のあり方を自省していたからだ。逮捕者を持ち上げていたのは自分たちではなかったか、と問いかけているのだ。
 この問いかけは重要であると思う。
 他方、この問題が発生する以前からその主役を忌々しく糾弾し続けていた某新聞は、勝ち鬨を上げるかのように一層の批判を連ねるばかりである。それはそれでよいが、事情でおとなしくしていなければならなかった鬱憤であるかもしれない。
 また、別の某新聞は、こういう場合、自省というものから遠い新聞社だなと思った。そう言えば、報道や言論に関する問題が起こるにあたっても、この新聞が謝る姿勢をほとんど見ないような印象をもっている。偶々私が調べたときがそうなのかもしれないけれども。
 ともあれ、毎日新聞がそうするのは、一つには、記名記事を遂行していることも関係しているかもしれない。当社もそう触れていることがある。
 たしかに、報道する者が、いちいち謝っていては、いけないのかもしれない。だが、人間としては、そこに信頼をむしろ覚えるように感じる。それは、報道に限らず、あらゆる分野に言えることではないか、とも思っている。
 よく、欧米では事故の際、謝る顔を見せたらとんだ賠償を科せられるからダメだ、と言われる。しかし昨年、少なくともイギリスでは、謝る誠実さを見せたほうが結局うまくいくという報告が届いていた。現実には、人間関係が優先されている、ということだった。
 それでいいんじゃないか、と思う。
つぶやきの カ・ケ・ラ


つぶやきのカ・ケ・ラにもどります

たかぱんワイドのトップページにもどります