◆ライブドアへの非難 ライブドアとサンケイグループの争いは、いい話題になった。経済の問題がまるで芸能の話題のように盛り上がったようにさえ見えた。政府の予算案などの問題が陰に隠れたみたいになっている。 この問題は、2005年3月末において、ライブドア側の言い分が完全に通っている結果となっているが、まだこれからいろいろありそうだ。v ライブドアのやり方に奇抜さがあったし、また、社長のずけずけと言う話し方が、サンケイグループのまるで逆鱗に触れるような反応を呼んだのも分かるような気がする。ただ私は、それはたぶん手続き上止められないものではないかとは感じていた。 また、サンケイの側の戸惑いもよく理解できるし、私としては、どちらかというと、サンケイが気の毒だという気持ちも強かった。 しかし、「言論」を標榜する当の産経新聞の叫び方には、首を捻ってしまうものがある。 「ライブドアの堀江貴文社長はルール違反すれすれ、あるいはルール外の技を駆使している。そこに法や制度の精神を守ろうというモラルはみられなかった」と3月24日の「主張」が記しており、当社長を「モラルなき達人」とまで呼んでいる。 このとき司法判断によって、ルールにそぐわないと却下されたのは、ニッポン放送のフジテレビに対する新株予約権発行のほうであった。気持ちは分かるが、「自分たちにはモラルがあるから、裁判所が私たちをルール違反だと決めたのはおかしい」と言いたい気持ちが前面に出た言い方を表し、司法がルールに適うと支持した側を、法の精神を守ろうとせずモラルがない、と断罪するのが、果たして「言論」なのであろうか。 誤解されるかもしれないが、私は、気持ちは分かるとサンケイ側に同情している。それでいて、ライブドア側も、もしかするとわがまま放題で乗っ取ろうという腹ではなく、起爆剤としての言い方がサンケイ側の感情を逆なでにして頑なにさせたという状況ではないかと推測している。いや、そう願いたいといったところか。ニッポン放送に出演するタレントも、気短に出演拒否しかないと決めるのではなく、互いによいものを作っていくようになれば、と素人ながら――視聴者としては――願う次第である。その上で、ライブドアが暴走するなら、強い態度に出るということでも、遅くはないのでは、などと呑気なことを言うのも、問題を外から眺めているからこそ言えるのかもしれないけれども。 こんな中で、サンケイ側にしても、自らの内にはエンタメでなく言論があるのだという誇りをもっているのならば、自分にとって気に入らないことを揶揄したり一方的に非難したりするような言い方をしないほうが、よいのではないだろうか。 |