◆抗議した少年の死

 ロシア、北オセチア共和国の学校人質事件については、幾ら語っても語り尽くすことがないだろう。
 そんな中で、ある少年の死が、とくに取りあげられることが多くなった。
 ハッサン・ルバエフ君が、犯人グループに抗議した。
「あなた方の要求には誰も応じない。あなた方は必ず殺される。われわれを殺しても何の役にも立たない」
 そして、銃が彼を撃ち抜いた。
 この勇気は、正義感は、どこから来たのか。だが、彼はおそらく学校で学んだ通りのことをした。
 だが「バカなことをするもんだ」という見方もある。
 1947年10月11日、山口良忠という判事(佐賀県出身)が、闇米は法に反しているという考えから、餓死するという事件が起こった。また、亀尾栄四郎というドイツ語の教授もまた、その二年前の同じ日に、配給の食糧だけしか自分は手をつけず、餓死しているという。
 とくに山口判事の場合は、自分がヤミ売買などの経済統制違反を担当していたこともあり、その死を記事にした朝日新聞によって、全国的に有名になった。
 ソクラテスの如きその死を美談にした人々もいるが、冷ややかに見る向きも多かったであろう。
 さらに覚えておきたい。こうしたことは、遠い世界の話でもなければ、私たちと無縁の話でもない。
 仕事で人を騙すに近いことをすることになった。
 町内会費で酒盛りをする。集まったのはごく一部の人でしかない。慣習であるかもしれないが、人のお金で飲み食いをすることとなった。
 車を留めようかと思ったら、そこに駐車禁止の標識があり、しかもわざわざ文章で、ここに駐車すると危険なので……と説明してあった。
 こうした場合、もしもあなたが少しも迷わずためらわず、「当然構わないことだ」と言い切って行動するタイプなら、私はもうあなたへ向けて語る言葉がない。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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