◆子どもを守れ

 子どもを襲う凶悪犯罪が連続した2005年末、人々は、一斉に「子どもを守れ」と叫び出した。
 その通りだ。子どもを守らなければならない。
 では、何から? 敵は何なのだろうか?
 命を奪わんとする異常者の手から――というのも、その通りだ。だがこれでは、地球を凶悪怪獣から守れという、かつてのウルトラヒーローものと同じだ。ウルトラものは、実は地球を破壊しているのは、私たち自身、地球人自身であるという視点と共に近年展開されている。だから、内容的に、難しくなっている。
 子どもを守る私たちは、正義の味方なのだろうか。
 私が思うに、「弱い者いじめ」の構図があるかぎり、子どもは当然、守られない状況にあるのだ。
 権力のある者、金のある者が、そうでない者をいじめている。政治的なことでも、会社でも、町内会でも、学校でも。いじめられる側も悪い、という認識で、誰もが自分は悪いことをしていない、という顔をしている。この図式があるかぎり、子どもは守られない。
 大人が、子どもをいじめているという自覚があるだろうか。電車内で携帯電話やメール送信をしている大人、信号無視をする車や歩行者、ウィンカーを出さずに曲がったり、路上駐車を平気でしたりするドライバー、お笑いだなどと称して人を馬鹿にする言動を正当化する、いわゆるバラエティ番組、そしてそんなことを、仕方がないさあるいは何が悪いなどと嘯いている大人が、子どもをどんなにいじめているか、私たちは、まずそこから始めなければならない。
 私たちは子どもを守る正義の味方だよ――そんな大人の嘘さえも、子どもたちは、信じるほかはない立場にあるのだ。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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