◆子どもを守ると皆が言うが

 報道の仕方にもよるのだろうが、どうしても子どもが被害者となる事件が注目される。
 まことに、痛ましい。そして、他人事ではない。自分が被害の側に立たないとも限らないし、さらに恐れるのは、自分が加害の側に立つかもしれない点でもある。
 子どもを守る、守らねばならない、と誰もが口にする。それは大人の義務のようなものだ。
 しかしたいていは、自分はさして子どもの手本にはならなくてもよいと考え、行動している。横断歩道で渡るどころか、赤信号でも車の間を縫ってひょいと渡る。歩きながらタバコをふかし、そこかしこに車をとめ、ウィンカーも出さない。
 自分が、すでに子どもを守っておらず、加害をなしているという意識は、どこにもない。
 警察や暇な人が、子どもを見守れ。教師や警察官が模範となればいい。俺なんか手本にするな。俺は関係ない。俺は、子どもからは、見えない。
 思うが、子どもを守るという言葉の主語から、逃れてよいおとなはいないだろう。「子どもを守る」の主語になれないのは、子どもに危害を与えるおとなだけである。つまり、関係ないと見なすその「自分」もまた、危害を与えているということになるのだ。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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