◆教育大臣の中に生き続ける「神の国」思想 四年前の2000年5月のことだった。当時の森首相は、目の前の人を喜ばすことに熱心で、その背後にいる国民や世界のことが見えていなかったために、軽率な発言を繰り返していた。その一つとして、いわゆる「神の国」発言をしてしまったのだ。だがこれは確信犯で、本人はどうして人々が騒ぐのかまったく理解できなかったようだ。 2004年9月19日、和歌山の式典の挨拶で、河村建夫文部科学相が、この発言を擁護した。森前首相の発言は正しかった。「なぜ、あの『神の国』発言が物議を醸したのか」と。 西日本新聞によると、このときの大臣の中で、河村文科相は、教育に関する能力の点で、最高点を与えられている。 6月の佐世保の事件のときに、担任教師に対して、なんとか子どもの前に立ってくれないか、と発言したのもこの大臣である。これは、感情的に幾多の人々の反感を買った。私は、意図を汲み取るならば、これはこれで一つの見解だと評価した。ただし、男子生徒が起こす事件かと思ったが女子生徒とは驚きだ、という発言は、肯けない。 イラクの人質事件で、「自己責任」という言葉を突きつけ、そういうことを教えないといけないのだ、みたいなことを言った人もこの大臣である。因みに、佐世保の事件で「元気な女性が多くなった」と能天気な発言をした井上防災相(親は打ち首獄門とこれまた能天気なことを言った鴻池祥肇氏も防災相であった)と、気が合うところがあるらしく、発言に関連ところが時折見られる。 教育に関しての政治的手腕はもちろん日本でトップクラスなのだろう。しかし、その人が明らかに「神の国」発言を支持し、神道を日本の歴史・伝統であると信じ切った発言をしている。 この人には、何かがまったく見えていない。その上で、教育行政を指導し、「心のノート」を配っている。これはものすごく怖いことである。周りの人間も、将来のことも、見えていない人が、心を操る道具を駆使するのである。 アメリカ国務省は、15日、「宗教の自由」に関する世界各国の現状を報告している。その中で日本については、オウム真理教(アーレフ)への監視や、仏教、神道に対する公的支援などを取り上げ「わずかに制約が残っている」と指摘しているという(西日本新聞)。この「わずかに」というのは、北朝鮮などに比べて、という意味であり、無視できる「わずか」という意味ではないことを、能天気な大臣に「教育」しなければならない。 |