◆イラクのクリスチャンは3% 2004年8月2日、イラクの5つないし6つのキリスト教会で同時に爆発があり、死傷者が多数出たと報道された。夕方の礼拝を狙ったテロであることは間違いない。 悲しみと怒りとに包まれる。 と同時に、報道の中に目を見張るものも感じた。「イラク国内には人口の3%にあたる約80万人のキリスト教徒がおり、多くはバグダッドや油田都市キルクークなど北部に住む」(毎日新聞)と記してある。フセイン政権下で信教の自由を保障されていたのだともいう。それは、経済的な理由もあるにせよ、ともかく「人口の3%」がキリスト教徒なのである。イスラム教を国教としながらも、3%の人がキリスト教を信じているのというのだ。 日本は、俗に1%と言われている。が、それはかなり多めに見繕っているとされ、教会に連なっている人はずっと少ないとされる。たとえ教会という組織に関わらなくても心の中で信じているという人を含めたくらいが多分1%なのだろう。 とてもじゃないが、イラクの割合には及ばない。 もともとイスラム教はキリスト教と共通の根っこであるユダヤ教につながっている。呼び名を別にすれば、信仰している「神」は同一である。つまり、唯一の神を信仰している点では何ら差がないのであって、イラク国内では、そうした信仰の対象をもっているということが、ごく自然なことなのかもしれない。 日本が如何に別の土壌にあるのかということも思い知らされる。 だからまた、とんでもない誤解がさも真実のようにまかり通ったりする。聖餐式が人の肉を食べているという誤解は、二千年前からあったようだが、日本でも百年前はそうしたものだった。下手をすると五十年余り前もそうだったのかもしれない。 そして今、一神教は自分だけが正しいとする危険な宗教で平和とは対極にある、という「信仰」が日本国内を蔓延している。政党も新聞社もそのプロパガンダをおおっぴらに繰り返している。日本は多神教で宗教に寛容だ、と宣伝しながら、一神教を排除していることには、気づいていないか、気づかないふりをしている。 それこそが危ないことであり、この百年前からの日本の過った道そのものではないか、と指摘する声には、与野党も新聞社も耳を貸さない。 |