◆体験と想像力 台風が近づいてきているという。福岡のほうへもまともに東からやってくるようだ。通常の台風の向きと異なるので、どういう状況になるのか、見当もつかない。 先に被害に遭った福井や新潟方面へも、また雨の影響が出ることが懸念される。本当に大変だ。洪水は、ただ水に濡れるということでは済まない。泥が入ってくる、もちろんそれも許せないようなことではある。だがまた、糞尿やゴミが押し寄せてくるために、臭いとしてもたまらないことは、なかなか想像がつかない。 ニュースを伝えるテレビ画像では、この臭いまでは分からない。視覚と聴覚に頼るメディアでは、臭覚・味覚・触覚は伝えることができないのだ。 それらは、せいぜい「想像力」に委ねられることになる。 しかし、受け取る側に体験のないことについては、その「想像力」が働かない。戦争報道にリアリティがないのは、自分に戦争体験がない場合である。被害者の痛みが分からず中傷する愚衆もまた、想像力が働かない代表であろう。 この「想像力」は自ら故意に停止させることもできるし、逆に何かのすり替えによって、その「想像力」を働かせないように仕向けることだってできる。 ファンタジー小説は、どこか現実逃避を促すもののように感じられるかもしれないが、そこでは多大な「想像力」が働いている。ミヒャエル・エンデは、想像力をなくした世界を滅びの世界として描いた。ファンタジーが読めなくなった世界は、死の世界であるのかもしれない。 |